皇室の人権
皇室典範改正問題についてのエントリーは2回目である。今回は、女系論者の意見「男女平等・同権の理念に反するからだ」というものについて考えてみたい。
もちろん男系論者として、この意見に賛成することは出来ないのだが、実をいうと少し引っかかるものはある。それは後回しとして、とりあえず反対意見を述べてみたい。
この意見には、前提として、「皇室の方々にも国民と同じ基本的人権が存在する」というものがなくてはならない。これを存在しないといってしまえば反論は終わりなのだが、それでは議論にならない。
自分の信条としては、昭和天皇陛下が”人間宣言”をしたのだから、もちろん人間としての人権は存在すると思っている。ただ、巷の人権屋とは人権に対するスタンスが異なる。
自由とか権利とかいったものは、無制限なものではない。自分の所属している組織の都合などで制限を受けることはある。それは自由がなくなるのではなく、その組織に所属し続けるために自由を犠牲にするといった方が正しい。例えば公務員は秘密書類を公開すると処罰される。いくら言論の自由を叫んでみても駄目である。これは自分が公務員でいるために、言論の自由をある程度犠牲にしているといえよう。
この考えに従うと、皇室の方々というものは、自身が”日本国の象徴・国民の象徴”たるために、犠牲にしなければならない自由があるのではないかと思う。従って、皇室の人権というのは一般国民のそれと同じではない。
さて、ここで先に述べた”引っかかるもの”が登場する。じゃあ皇室の人権というのは、どこまで認められるべきなのだろうかということである。これは、公務員法のように明確な規定があるわけではない。
考えなくてはならないことは、皇室の属するものが”日本国の象徴・国民の象徴”というものだ、ということである。かみ砕いて言えば、国民が”これぞ日本だ”と胸を張って紹介出来るもの、ということであろう。
私は、”これまでの伝統こそ日本の象徴”だと思っているので、その伝統を固持することが日本国の象徴たりえるという信念で、男系維持を主張している。しかし、これは明らかに私見である。”今の日本は民主主義社会、みんな自由で平等だ。当然日本国の象徴もそうあるべきだ”という意見には、残念ながら論理的に反論する術はない。
だからこそこの問題は、国民全員が、”何が日本国の象徴としてふさわしいか”ということを考えて決定していかなければならない。その結果、”男女平等の皇室”が選択されたならば、残念ではあるが仕方のないことである。
しかし、ここは男系論者として、皇室に全ての人権を与えた場合の起こりうる極論を以て、その違和感を訴えたい。あくまで仮定の話なので、不敬はお許し頂きたい。
・例えば天皇陛下が外国人と結婚する権利はあるだろうか?次の皇太子が金髪碧眼のハーフであってもよいだろうか?
・例えば男性の天皇陛下が、性転換して女性になりたいといったらどうだろうか?
いずれも一般の国民には許される権利である。しかし、皇室がこの権利を有することにはやはり違和感があると言わざるを得まい。
最後にもう一つ私見を述べる。もし皇室の方に一般の国民と同じ人権を認めるならば、まず最初に認められるべきものは職業選択の自由、すなわち、”皇籍を自由に離れる権利”であるべきだと思う。
もちろん男系論者として、この意見に賛成することは出来ないのだが、実をいうと少し引っかかるものはある。それは後回しとして、とりあえず反対意見を述べてみたい。
この意見には、前提として、「皇室の方々にも国民と同じ基本的人権が存在する」というものがなくてはならない。これを存在しないといってしまえば反論は終わりなのだが、それでは議論にならない。
自分の信条としては、昭和天皇陛下が”人間宣言”をしたのだから、もちろん人間としての人権は存在すると思っている。ただ、巷の人権屋とは人権に対するスタンスが異なる。
自由とか権利とかいったものは、無制限なものではない。自分の所属している組織の都合などで制限を受けることはある。それは自由がなくなるのではなく、その組織に所属し続けるために自由を犠牲にするといった方が正しい。例えば公務員は秘密書類を公開すると処罰される。いくら言論の自由を叫んでみても駄目である。これは自分が公務員でいるために、言論の自由をある程度犠牲にしているといえよう。
この考えに従うと、皇室の方々というものは、自身が”日本国の象徴・国民の象徴”たるために、犠牲にしなければならない自由があるのではないかと思う。従って、皇室の人権というのは一般国民のそれと同じではない。
さて、ここで先に述べた”引っかかるもの”が登場する。じゃあ皇室の人権というのは、どこまで認められるべきなのだろうかということである。これは、公務員法のように明確な規定があるわけではない。
考えなくてはならないことは、皇室の属するものが”日本国の象徴・国民の象徴”というものだ、ということである。かみ砕いて言えば、国民が”これぞ日本だ”と胸を張って紹介出来るもの、ということであろう。
私は、”これまでの伝統こそ日本の象徴”だと思っているので、その伝統を固持することが日本国の象徴たりえるという信念で、男系維持を主張している。しかし、これは明らかに私見である。”今の日本は民主主義社会、みんな自由で平等だ。当然日本国の象徴もそうあるべきだ”という意見には、残念ながら論理的に反論する術はない。
だからこそこの問題は、国民全員が、”何が日本国の象徴としてふさわしいか”ということを考えて決定していかなければならない。その結果、”男女平等の皇室”が選択されたならば、残念ではあるが仕方のないことである。
しかし、ここは男系論者として、皇室に全ての人権を与えた場合の起こりうる極論を以て、その違和感を訴えたい。あくまで仮定の話なので、不敬はお許し頂きたい。
・例えば天皇陛下が外国人と結婚する権利はあるだろうか?次の皇太子が金髪碧眼のハーフであってもよいだろうか?
・例えば男性の天皇陛下が、性転換して女性になりたいといったらどうだろうか?
いずれも一般の国民には許される権利である。しかし、皇室がこの権利を有することにはやはり違和感があると言わざるを得まい。
最後にもう一つ私見を述べる。もし皇室の方に一般の国民と同じ人権を認めるならば、まず最初に認められるべきものは職業選択の自由、すなわち、”皇籍を自由に離れる権利”であるべきだと思う。