濫用・流用される科学研究費 | Logic of Silent Majority

濫用・流用される科学研究費

 昨日のエントリーの続報だが、小坂文科相は荒川選手及びスルツカヤ選手に対するお詫びのコメントを発表したようだ。
 誰に悪いことをしたか、ということは理解しているようで、民主党よりは遙かに救いがある。
 政治家の発言などと言う物は、常に最悪の曲解でもって報道されるものだ、というぐらいの気持ちで、今後発現には気をつけて欲しいものである。

 さて、本題。たまには科学者らしいエントリーもしてみたい、と思いつつやっぱり政治的な話になってしまう。
 科学研究というものは、当然利益に直結しない物も含まれるので、そういった研究を行う費用は国からの補助金でもって行われる。
 研究者は、国に対して”自分の研究がいかに世のためになるか”を訴え、その有用性と能力が認められた者に研究費が与えられる。
 この理念には全く問題がない、というか恩恵に預かっている身であるのでむしろ感謝しているところである。ただ、システム上に問題があるので、それを提起して検証したいと思う。

 研究費というものは、通常年度ごとに与えられる。3年で1500万円という場合でも、年間500万円×3年、という様に年ごとに使用する額が区切られる。

 ここで問題が生じる。それは、1年に400万円しか必要でなかった場合と、600万円以上の物が必要になった場合である。
 1年に400万円しか使わなかった場合、次の年に600万円使えるか?答えは、不可である。それどころか、この研究者は400万円しか必要でないと判断され、次の年からも400万円しか研究費が与えられなくなるのである。また当然、前倒しで600万円使うことも不可である。このような問題は、結局公務員的な感覚に由来している。要するに、融通が利かないのである。

 そうなった場合、研究者はどうするだろう。
 まず、400万円しか必要なかった場合には、次の年にまた500万円の予算を得るため、100万円は不必要な物の購入に消える。これが、研究費の濫用。不正ではないが、非効率的である。

 次に、600万円の物が必要であった場合は、もっとたちが悪い考えが浮かぶ。600万円の物を、メーカーに頼んで500万円で購入し、差額の100万円は、次の年、何も買っていないのに100万円の物を買ったことにして支払うのである。これは明らかな不正行為、研究費の流用である。

 とまあ、研究者の極悪ぶりを書いたわけだが、良く見てみると、別に自身の懐は全く潤っていない。ただ、研究上の必要に迫られて不正を余儀なくされているということなのだ。

 もちろん、モラルが崩壊すれば、同じ手口で研究費を懐に入れることが可能であるので、このような行為は取り締まられて当然である。ただ、予算の融通の幅をもう少し広げてくれれば、我々も良心を痛めながらこんなことをする必要はなくなる。予算を効率的に使うためにも、是非”公務員的な融通の利かなさの改革”とでも言うのだろうか、ご一考頂きたいものである。