小坂文科相に政治家の本質を見る
あまり個人名を挙げて中傷するのは気が進まないが、あまりに腹が立ったのでお許し頂きたい。
フィギュアスケートの荒川静香選手が、小坂文科相に金メダルの報告に訪れて、対談した時の一コマである。
小坂文科相:「人の不幸を喜んじゃいけないけど、(スルツカヤ選手が)こけた時は喜びましたね~。これはやった~って言ってね~。」
荒川選手:「・・・・・。」
彼は自分が何を言っているのか解っているのだろうか?人の不幸を喜んじゃいけない?そういうことではない。これは、”荒川選手が金メダルを取れたのはスルツカヤ選手が失敗したおかげ”という、荒川選手に対する侮辱以外の何者でもない。
思うに、ここにはスポーツ選手と政治家との本質的な思考回路の違いが現れているのではないだろうか。
スポーツというのは、努力して”自分の能力を相手より高めていく”という世界である。自分が高みへ登ることをせず、相手が落ちることで相対的に相手より高いところにいく、という努力は存在しない。(存在するかもしれないが、少なくとも邪道であろう。そんなことを誇る選手はいないはずだ)
政治というのも、本来そうあるべきものである。選挙戦だって、”いかに相手より良い政治をするか”をアピールして戦っていくのが、あるべき姿のはずである。
ところが、昨今の政治を見ていると、”いかに相手を貶めるか”に血道を挙げているようにしか見えない。民主党の偽メール事件は記憶に新しいが、何のことはない、与党だって根底に流れる思考回路は一緒なのだ。
考えて見て欲しい。AとBという政治家がいたとする。Aの方が政策の面で勝っている時に、BがAを貶めることをして、それで当選したとしよう。結果として行われるのは、Aの政策より劣るBの政策である。つまり、この思考回路というのは、決して”政治が良くなる”ということには繋がらないのである。政治を良くするためには、BがAよりも良い政策を示して、その結果選挙に勝利しなければならないのである。
もちろん、”相手を貶めれば選挙に勝てる”と政治家に思わせている、我々国民にも責任の一端はあろう。こういった戦略に惑わされず、本当に良い政治をしてくれるという基準で、政治家を選ぶようにしたいものである。
フィギュアスケートの荒川静香選手が、小坂文科相に金メダルの報告に訪れて、対談した時の一コマである。
小坂文科相:「人の不幸を喜んじゃいけないけど、(スルツカヤ選手が)こけた時は喜びましたね~。これはやった~って言ってね~。」
荒川選手:「・・・・・。」
彼は自分が何を言っているのか解っているのだろうか?人の不幸を喜んじゃいけない?そういうことではない。これは、”荒川選手が金メダルを取れたのはスルツカヤ選手が失敗したおかげ”という、荒川選手に対する侮辱以外の何者でもない。
思うに、ここにはスポーツ選手と政治家との本質的な思考回路の違いが現れているのではないだろうか。
スポーツというのは、努力して”自分の能力を相手より高めていく”という世界である。自分が高みへ登ることをせず、相手が落ちることで相対的に相手より高いところにいく、という努力は存在しない。(存在するかもしれないが、少なくとも邪道であろう。そんなことを誇る選手はいないはずだ)
政治というのも、本来そうあるべきものである。選挙戦だって、”いかに相手より良い政治をするか”をアピールして戦っていくのが、あるべき姿のはずである。
ところが、昨今の政治を見ていると、”いかに相手を貶めるか”に血道を挙げているようにしか見えない。民主党の偽メール事件は記憶に新しいが、何のことはない、与党だって根底に流れる思考回路は一緒なのだ。
考えて見て欲しい。AとBという政治家がいたとする。Aの方が政策の面で勝っている時に、BがAを貶めることをして、それで当選したとしよう。結果として行われるのは、Aの政策より劣るBの政策である。つまり、この思考回路というのは、決して”政治が良くなる”ということには繋がらないのである。政治を良くするためには、BがAよりも良い政策を示して、その結果選挙に勝利しなければならないのである。
もちろん、”相手を貶めれば選挙に勝てる”と政治家に思わせている、我々国民にも責任の一端はあろう。こういった戦略に惑わされず、本当に良い政治をしてくれるという基準で、政治家を選ぶようにしたいものである。