いつもブログを見て下さってありがとうございます🎶
幸せに生きるための気づきを日々綴ってます( ◜‿◝ )♡
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より高価な宝石💎
よりオシャレな服
より高い地位
より勝っている学歴
より優れた能力
より美しい言葉遣い
人は無意識に『より』高い・優れた・素晴らしい何を追い求めてしまう。
だから、
流行の服に目が行くし、
ブランド物が欲しくなったり、
高い地位や能力、学歴を望んだりして、
それを褒められれば嬉しく思い、
自分のそれよりも『より』高いそれを持っている人を羨ましく思ったり、
それが手に入らない自分を「ダメだ」と思ちゃうんだよね(´-﹏-`;)
自分の『それ』がどう見られているか?
相手よりも上か下か?
『それ』を持っている自分を他人はチヤホヤするかどうか?
それが大事なんだよ。
だって、
気づいてもらえると嬉しいし、
無意識にアピールしていたり、
人が見ていなければ「やりたくない」と思っちゃうんだから…(。ŏ﹏ŏ)
確かに
褒められれば嬉しいから、いっぱい褒められる要素がほしい。
下に居るより、上に居たほうが安心する。
でもさ、
『それ』は自分じゃない(◡ ω ◡)💦
自分ではない『それ』を褒められて、どうして嬉しいの?
高価な宝石やオシャレな服は
私の表を飾っているだけで、私の『心』を美しくするのには役に立たないし、
高い地位や勝っている学歴は
一時的な私の居場所で、その居場所はいつか離れなくちゃいけないし、
優れた能力や美しい言葉遣いは
生きることを楽にするけれど、能力はいつか衰え、言葉の美しさと『心』の美しさは別だ。
『私』とは『心』だから、
『心』以外の何かを褒められても、それは私ではない。
だから、
容姿だけを褒められても、
能力だけを褒められても、
そのうち虚しさがやってくる…。
私は『心』を褒められたいんだ。
私は『心』を認められたいんだ。
だってそれが私だから☘️
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