昭和62年03月31日23時55分
小生は
日本国有鉄道小樽運転区に居りました
気温は零下
雪が降っていました
国鉄に勤める事が
学生の頃の希望であり夢でした
それが
学生臨時雇用であっさりと上野駅に採用され
夢の半分が適いました
ところが
政府の国鉄改革で
あっさりと足切りされ
一学年上の先輩達は国鉄に多めに採用されましたが
我々からは門前払いでした
地獄はこれからでした
それでも準職員制度はありましたし
パートやアルバイトとして残る事も出来たのですが
アルバイト
パート
準職員
の順に廃止され
小生は案内所・遺失物扱所の下請会社に拾って頂きました
その間
仲間達は国鉄を諦めて
現実として民営鉄道や旅行会社へ転向しました
小生は
どうしても悔しくて
むしろ国鉄の最後を見届けるつもりで居ました
御縁がありまして
小樽SL復活の会→北海道鉄道文化協議会
の
支援と言う形で
全く金銭・身分・発言保証の無い
「CIA」
をやる事になり
それでも分割民営化の嵐の中
国鉄内外で無理解と畏怖が渦巻き
復活は不可能かな
と
脳裏を掠める瞬間が増えた
昭和62年3月中旬
「やるぞ!ロクニ自走復活だ!」
と小樽から連絡がありました
他の蒸気機関車計画と異なる点ばかりの
C623機
その草創から破綻
そして再々復活の模索まで
幸運ながら目撃させて頂きました
国鉄分割民営化
その嵐で生命を途絶した人間の何と多い事か
報道も
ウィキペディアですら語られない
しかし
小生はそれを目撃し体感しました
30年を経て
小生は全く役立たずです
生き恥とはこのこと
この間に不可欠な人間が霊山にどんどん旅立って居ります
それでも生きてしまっております
生きて恥を晒して
それでもやらなければならない事
判っていましたが
勇気が無かったのです
もう傷付けてならない人間は誰もいません
小生とて
黙する罪業をこれ以上は重ねたくありません
敵は己心也
格好付けるものでもなく
これ以上失うものも無いので
いや
耐えられないのです
嘘や妄想が蔓延して
小生が実際に目撃した人々の心が
踏みにじられている事を
30年前
小樽運転区こと
小樽築港機関区で
蒸気に浮かぶC623機は
テレビ番組の企画で流されていた
「蛍の光」
を聞きながら
ひとり
貨物駅のハンプで
号泣しておりました
帰るべき母なる「国鉄」
帰りたい父なる「国鉄」
その両親を一度に失った
悲しみと
夢が現実になった奇跡の感動と
その複雑な思いを
全国百万の国鉄マンとOBが
共にしていた
それを忘れて
明日は無いのです。