正式な名前は
「東海道本線別線増線」
つまり
東海道新幹線は
既に溢れそうになっていた
東海道本線の輸送力増強の為に
作られたものです

そもそも
「新幹線」
と言う言葉は
戦時中に設置され
戦況悪化で取りやめとなった
「新幹線計画」
通称
「弾丸列車」

始めて使われたもので

更に
仕掛けた人物達は
「標準軌」
を実現する事を
出世の本懐(生れ出た理由)
とした人々です



明治二年
に作業が始まった
「官設鉄道」(新橋横浜間鉄道)
には
どうも
「予算不足」
やら
「利用見込」
とは別の政治的な見地から
「急いで作る」
必要があった様子も伺えて
急造だった事から
鉄橋も無く
軌間は欧米標準の1435ミリより
狭い1067ミリ
当時既に旧式となっていた
軽量機関車を中心として揃えられ

この
「狭軌コンプレックス」

「新幹線」
として結実したと言っても
全く過言ではございません

東海道本線
東京~神戸間が
全線電化
つまり
蒸気機関車牽引では無くなった
のは
昭和33年11月19日

東海道新幹線開業の
7年前に
ようやく全線電化

にもかかわらず
高速鉄道が必要だった
のは
戦後の高度経済成長

東海道本線のみならず
公共基幹交通

充実を要求し
しかも
のんびりしていたら
東海道線のバンク状態が
国家経済の足枷
になっていたもので



それに至るまで
例えば信号
例えば軌道
例えば電動機構
例えば通信
例えば空気抵抗
例えば振動
そんな各個部分の技術研究は
着工!
と言う迄に
出来上がっていた
それを結集したものが
どんなものなのか
きちっとイメージして
きちっと法制を改善し
そんな人物達が国鉄に居た事
それが肝心です

一方
「新幹線」

「夢を運ぶ虹色の白馬に乗った王子様」
などではありません
並行する在来線と
その役割を分けた
その点が
「新幹線の成功」
なのでありまして
並行在来線は不要
とする程の
列車本数の少ない路線には
そもそも
新幹線が不要なのです

新幹線半世紀
その間
乗客死亡事故皆無
これぞ
「日本人の仕事」

特定非営利活動法人交通文化連盟
の前身組織が創設され
今年で35年(昭和54年)

新幹線15周年
で設立され
新幹線20周年(昭和59年)
で蒸気機関車C623機復活へ転換し
新幹線25周年(平成元年)
で本格的な列車運行を実現し
(会津MLEと足尾EXP)
新幹線40周年(平成16年)
で地域観光創造へ乗り出し
(北総新選組)



A幹
こと
東海道新幹線の歴史

交通文化連盟
の歴史とも
符合します

何より
小生が生まれたのが
昭和39年

本当の
平成日本の
「復興」
は未だ未だですが
これからが本番

ただ
忘れてはいけないのは
新幹線50年
の基底には
日本の鉄道屋150年
の経験技術の蓄積がある事で
その
「経験」
を活用すると共に
「先達達への敬意」
があってこその結果です

国鉄のシンボルマークだった
「動輪」
を捨てた分割会社

その
「先達への敬意」

「責任」
が感じられない事が
唯一にして
最大の懸念です

偉大なり新幹線
それ以前に
偉大なり鉄道屋
その精神が
交通文化連盟の肝心たる
「老いたる同志の築きたる誉の軌道をいざ護り抜け」

ええ
うちは何処迄も
鉄道屋の精神です。