ブログネタ:電車のマナー、守れてる? 参加中とにかくも先に御案内を・・・
国鉄分割民営化以降
特に首都圏では
法制度上は「電車」が一両も無い東日本旅客鉄道が
脱・日本国有鉄道を意識し過ぎて
「国電」と通称する
「通勤旅客列車輸送区間」(国電区間)
を
「E電」
なんて言い出して
大きく転んだ逆恨みからか
「電車」
を連呼する様になりましたが
小生の言う「電車」は
「乙種軌道に於ける電動客車」
つまり
路面電車
の事を指しまして
「甲種普通鉄道に於ける旅客用の・・・」
つまり
御客様が御乗車となられるものは
「列車」
が正解です
これは特に東京南西部が強いのですが
明治最後年に登場した
「大型ボギー式電気鉄道・電動客車」
は時代の最先端で
蒸気機関車が当たり前でした鉄道で
「煤に汚れない・高加減速」
は
ハイテクの集積
でした
このイメージから
「電気鉄道=電鉄」
が急増し
「電気鉄道だから列車とするよりも電動客車列車=電車」
と
一種の営業戦略もあり
「電車」
が普及したものらしいのですが
国土交通省運輸安全委員会の事故調査報告
や
各裁判所に於ける調書・判決文
には
「路面電車は電車・普通鉄道は列車」
の大原則があり
あ
但し
そもそもが路面電車と同様の
一両基本の電動客車による
「多本数頻発運行」
で
中長距離の旅客・貨物列車と分離して運行設定されていた
山手・京浜・中央線東部首都圏区間
などは
「電車」
でも違和感はございません(だから院電・省電・国電区間と呼称したとも)
が
蒸気機関車牽引列車も新幹線もローカル線のジーゼルカーも
「電車」
とするのは
例えば
「麺類」を全部・・・
そば
うどん
パスタ
これらを全部「ラーメン」と言うくらい
乱暴で
言葉の本質を知らない
そしてその言葉の本質に配慮していない
とても恥ずかしい日本語です
さて
モテる奴と
そうでも無い奴
男女共に
「配慮」
に差があると考えております
昨今
「若い奴は配慮が無い」
と伺う機会が多くございますが
同時に
「むしろ団塊の爺・婆は配慮しない」
と続く・・・
「空気読めない」
じゃ無くて
「空気読まない」
「配慮が無い」若しくは「配慮が足りない」
と
「配慮しない」
は
大きな差があると認識頂けますでしょうか?
さてさて
その「配慮」って何よ
と
相成りますが
端的に申し上げれば
「心配り・気遣い」
深意としては
「相手の有益・有用への誘導や助言・押し付けとならない言動」
もっと言えば
「要求予測対応」
毛唐どもの言う
「サービス」
とは厚味が異なる
「相互に持つ事で和を生じさせる優しさ」
とでも申し上げるべき事柄かも知れません
モテる奴は
この配慮がとてもさり気無く
気障でも大袈裟でもない
それでいてかなり広範囲の人間を対象としている
のが小生の分析から推察するところで・・・
男女で若干の差がございますが
女子群の多く高評価となる男性は
「あのヒトって誰にでも優しいよねぇ」
男子群の多く高評価となる女性は
「あのコ、細かいトコロに気が回るよなぁ」
女性は対外的評価の要点を
「自身を含めた対個人」
として認識する傾向が強く感じられます
一方
男性は対外的評価の要点を
「その集団や組織の中にある立場」
に置くきらいが多くございます
それらに共通した「言動」が
「要求予測対応」
すなわち心配りであります
酒宴の席で
隣席の人間が別の者と話題に夢中になり
コップを口にすると
「あ、空だ・・・」
と
一瞬表情に出す事がございます
こんな時
「あれ、ビールで良いんかぇ?」
なんてビールを注いでくれる
その時は一々御礼申し上げる事など無くても
「このヒトは心配りの出来るヒト」
と注いで貰った者は感謝する筈です
列車内で
見るからに御高齢の御客様が目の前に立った
としまして
「どうぞ、宜しければ」
とシルバーシートやら優先席やらで無くとも
着席を促す
これも「配慮」
他人への思いやり
とか
周囲への配慮
とか
「他人の要求を予測してなるべくその需要に近い状態を出来る範囲で対応する」
これ
一見すると
「優しさの片道切符」
に見えて
実は自身の人間と言う素体を美しく飾る
心のオシャレ
なのです
この配慮が自身で自然に癖
もっと言えば普段の基礎行動として定着して参りますと
「あのヒトは心配りの良いヒトだ」
と
潜在的に評価が高くなり
結果として自身の理解者や応援者になってくれていたりするものです
言い換えれば
「粋」
イキってのはそんなモンでござんすよ
どうしても人は
「一次的な利益回収」
を求めてしまいます
そんな薄い求利心は
不思議とかなり多くの人間に洞察されて
「コイツは自利の為にやってんな」
と思われるもの
表面的には知己が広そうでいて
実は自分の理解者でも支援者でも無かった
そんな事も多々ございます
国鉄勤務経験者で
今日も鉄道再生を含めて
何かと鉄道や列車・接客に関わって三十年
列車内での飲食は
基本的に車体側面四扉の通勤列車で
しかも多客の時間帯を避けておれば
まぁ許容の範囲です
御化粧にしても
多客混雑の中で無い(立客が5~10人程度)ならば
これもまぁ・・・
しかし
長手座席(ロングシート)で足を組んで・・・
出入口・デッキ付近で立ち止まる・・・
これは論外
特に
旅客乗降の多い駅で
客扉(ドア)で
「降りたくない」
と頑張るバカがおりますが
これは言後同断
加えて
直ぐにドア横の手摺に逃げ込みたい方がおられますが
そこに立ったら
他に駆け込んで来た御客様が居たら
扉を抑えたり
挟まったら助ける
そんな覚悟をしろやボケ
であります
また
配慮は
「日常的な小規模危機管理」
とも言えます
列車に乗り込む際に
最近は携帯電話で乗り換え案内を見ながら・・・
と言う御客様を多く見掛けますが
このナビちゃん
「何号車がこの駅の階段に近い」
なんて出すもので
特定の車両が異常に混雑したりします
と・・・
その乗降に時間を要しまして
これが重なると
「列車遅延」
になるものです
周りを見て
少しでも空いた扉へ動く
乗ったら
次駅で降車するので無いならば
奥へ進む
こんな「配慮」を
御客様全体が自然に身に付けられたならば
不用意な列車遅延や
それに伴うホーム混雑に於ける旅客傷害事故の防止
つまり
「時間通りの移動」
が
少しづつ実現化するのでございます
列車が遅延すると
当然の事ですが
ホームに通常より多くの御客様が滞留致します
その分
「事故」
は置き易くなります
自身は怪我をしないまでも
その配慮は結果として
危険回避に向かう筈です
配慮と言うも
心配りと言うも
空気を読むと言うも
「先ずは周囲の人間を注意深く観察」する事から始まります
他人の観察をする
このヒトにとっての「要求」とは何だろう・・・
この観察は
「ヒトの悪い点」
「不粋」
がまた良く見えるものです
配慮が足りない・配慮が出来ない
のは
「自身が自身の観察をしていない」
言えば
「心のオシャレ度」
が低いとも言えます
それは自分の言動に自信も確信も無い証拠です
配慮・心配りは
自身の存在表現でもあるのです
「一次的利益回収」
では
利子も影響も小さいもの
しかし
バカ程
「利は見えないと不安」
なもので
これは全く自身に自信も確信も誇りも無い
単に生物学的に生存時間を増加させてきただけのもの
と相成ります
ま
配慮しない
と最初から自身の存在や人間としての立居地を捨ててる奴は
他人や周囲なんざ関係無いんでしょうから
どうぞひっそりと孤独死させてやりましょう
会社にしろ学校にしろ街にしろ国にしろ
「人間の集まり」
であります
その中で
「格好良く生きて」みませんか?
となりゃ
配慮は不可欠です
そしてそんな配慮のヒトは
まぁ
モテるんですよね
コレが。