平成24年05月06日日曜日
まぁ過去の経験から長い連休の終わりになりますと
むしろ御来訪が多くなります
千葉県流山市流山二丁目
地元では根郷と申します地区ですが
前日の土曜日
この連休中に北総史学舎企画で
甲冑体験を実施致しまして
3500円の料金に対して事前告知は幾つかのブログなどだけだったのに
5日間で5件
好評でありました
が
最終日に於いて
一人の無限な少年の生命を失うものとなった
まさに災禍の日となってしまいました
しかしとても違和感がございます
報道や気象庁の記事を読み返しますと
「13~14時に発生した竜巻」
と出て参ります
今回の竜巻で大きな被害を出した
「常総→筑波山麓間」
報道で多く見掛けた
つくば市北条の国道第125号線沿まで
直線距離で39キロ
この竜巻の発生起点とされる
常総市石下地区まで
直線距離で29キロ
その時間
流山市根郷は
温度25度を越えて
夏そのものの晴天でした・・・
では
特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊第三業務隊
05月06日
流山派出警備実施日報(北総新選組)
と
報道や小生の目撃などから
一日をまとめます
普段の流山新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)は
住宅街の路地裏にひっそりと在る
史跡と言うよりもモニュメントです
昭和51年に観光協会名義で現在の所有者・秋元浩司氏が
近藤勇陣屋跡石碑
を設置して認識された流山新選組本陣跡ですが
そもそもは永岡家こと鴻池と言う屋号の地回酒問屋(江戸・日本橋)が設置した
「流山醸造支社」
だったと言うことで(歴史企画研究主宰・あさくらゆう氏解析による)
明治22年から大正初期までは
この土蔵がある場所には
「流山町役場」
が所在しておりました
但し
その南側一帯と東側の土地は
鴻池が土地を割譲した「志摩屋」から明治19年に取得し(秋元浩司氏証言による)
現在の「株式会社秋元販売部」と母屋は
その際に新築されたものです
幕末・慶応四年四月三日に官軍と遭遇した徳川家勘定組頭・旗本・大久保大和守剛率いる
徳川の陸軍隊
が仮設本部=本陣とした「鴻池=長岡屋(永岡屋)」は
その現駐車場や家屋・倉庫の一帯と
西側の流山街道旧道に面した「店」(根郷古老の複数証言による)で
大正07年に現・秋元藤之助家が
現在の流山市流山福祉会館の場所に移転した町役場の跡地を購入し
別途土蔵を移築したものです(秋元本家証言による)
←05月05日16時53分本陣前
現地に残る伝承が混乱し
今日まで
「新選組・流山転陣」
の事由が不明で
その本陣も一部資料(流山市史)では「店」を指している事や
文書がとても意図的と思える程少ないこと
なにより
「転陣日付の不確定」
そして
戦前に始まった「鞍馬天狗連動型新選組ブーム」の影響で
新選組の見せ場=池田屋騒動
つまり
新選組=京都
の図式が確立され
千葉の片田舎なぞ「舞台」として軽視されたことで
新選組研究家を自称する皆様も
長く「スルー」していたものですが
綾瀬新選組研究会代表・増田光明氏が
昭和51年に発見された
「金子左内家文書」
を分析して
慶応四年四月一日~二日正午までに流山へ移動完了
慶応四年四月三日夕刻に官軍と遭遇し、夜半に大久保大和守が東山道軍先鋒隊本営に出頭の為出発
慶応四年四月四日昼に武装解除(ミニエー銃180丁押収の官軍記録あり)
と
日付が明確化して
当時の武蔵国足立郡五兵衛新田から葛飾・新宿まで荷駄手配をした事まで
判明したものです
ちなみに・・・・
根郷古老のお話や水運史に明るい方などの証言から
「近藤・土方、永遠別離の地」
と一部マニアが騒ぐ「やっから(矢河原)の渡し」は
この当時徳川家関東郡代支配地である根郷地区ではなく
北隣の駿河田中藩支配地・加岸地区にあり
現在の「案内標柱」の場所と異なるとか・・・
代々水運業をされていた方の御子孫がお教え下さったところによると
「根郷にも埼玉側に連絡船舶の桟橋が古くからあった」
そうで
「それは何とかの渡しなんて言わなかったなぁ」
そうです
さて。
その
大久保大和守剛こと近藤勇藤原昌宜
と
内藤隼人こと土方歳三源義豊
が「覚悟」の地
流山新選組本陣跡の05月06日・・・
○10時00分
北総新選組こと鉄道輸送警備隊第三業務隊要員二名現場到着し現状確認
○10時50分
第三業務隊第一小隊長・警士長・倉科右近将監他二名
流山派出所=閻魔堂を開錠し設営準備開始
○11時00分
流山新選組本陣跡(現・株式会社秋元)案内カウンターと「記念写真用パネル」設置完了
同時に担当指揮者である
第三業務隊筆頭副隊長・統括・稲葉式部大輔
総隊管理幕僚・岩崎安房守
現場到着(以降、現着)
○11時05分
各部点検しマガジンラックを設置するのみで警戒開始
★11時10分
富山県魚津市で農作業(トラクター運転中)の男性が落雷が原因と見られる事故で死亡
○11時40分
兵部卿閣下現着
★同時刻
福島県会津美里町で突風による被害発生
★11時53分
東日本旅客鉄道奥羽本線米沢駅一帯で停電の為に運行システム障害発生
★11時54分
気象庁が栃木県域に竜巻注意情報発令
○12時25分頃
この頃小生の恋人であります本陣向かいのワンコ(芝)「ナナ」ちゃんがお散歩出発と記憶
○12時30分頃
気温25度を超えて湿度高く安房守(小生)シャツのみとなる
東風時折
★同時刻
栃木県真岡市から茨城県常陸大宮市に掛けて大型の竜巻が発生し家屋等被害多々
※負傷11名・建物被害933件
○12時45分頃
寿美屋さんがハンバーグサンドイッチと豚角煮を差し入れて下さる
★12時48分
気象庁が茨城県域に竜巻注意情報発令
★12時45分
茨城県常総市からつくば市に掛けて強力な竜巻が発生し家屋倒壊・人的被害甚大
※死亡1名・負傷37名・建物被害847件
○13時00分頃
兵部卿と協議し資料用に甲冑着用の撮影をするものと決定し要員三名の警戒任務を解除
「ナナ」ちゃんお散歩から戻り、「ナナちゃんママ」さんから埼玉方面で雷鳴との証言
★13時頃
茨城県常総市から桜川市に掛けて大型の竜巻が発生し家屋等被害多々
※負傷3名・建物被害212件
○13時13分
甲冑着用がほぼ完了
東風時折強し
←13時13分、流山派出所にて。兜の位置決め中。
○13時14分
全身の撮影、日差し強くイソ感度100でシャッター速度1/125、絞り8と記憶
←13時14分、日陰でその絞りでした
○13時17分
撮影場所を浅間神社に移動す
下の画像は閻魔堂から常与寺に向かう途中の路地ですが
この路地は北北東に向いておりまして
筑波山に向いております
この白い雲の下で大変なことになっていたなんて想像もしませんでした
←13時17分、背後の雲はほぼ筑波山方角に該当
○13時20分
浅間神社に現着
レフ板をセットして撮影開始
方向は失念しましたが風が強くなりはじめていました
←13時28分、浅間神社。レフに反射する日差しが強い
レフ板が風に煽られるため
メンバー二名が押さえていました
←13時29分
西側に雲はありません
←13時34分
まだ夏状態で
甲冑の中も温度上昇
しかし
本人は希望して志願したもので
興奮のためか一切愚痴も言わず・・・
←13時36分
○13時40分
かなり風は弱まる
新設となった洋食+パン屋が向かいの為に覗き込む旅客少々
←13時40分
○13時45分
浅間神社での撮影を完了し、派出所へ帰還の為移動開始
★13時47分
東日本旅客鉄道東北本線盛岡駅構内に落雷し東北新幹線と田沢湖線が信号機支障の為に抑止
○13時50分
筆頭副隊長休憩の為に派出所へ戻りふわふわ(まったり)する
★14時18分
埼玉県桶川市で落雷の為に3名が負傷し12歳の少女が意識不明の重態となる
○14時20分
急に風がひんやりとし始めて、南西方向に黒い雲が急速発達接近するを視認
○14時30分頃
北方向に黒雲、風や雲の流れから雲渦の軸があるのを眺める
○14時50分頃
西側の雲が北側・南側に進出し、北側から北北東に異動した雲渦がはっきり見え
風が急に冷たく強くなる
天候急変の為に案内を中止しカウンター等撤収指示
○15時00分
案内・警戒を終了し派出所へ撤退
第一機動警備隊第一小隊長・主任補・中村伊賀守応援の為に現着
※この日の本陣御利用等実績は74名→通常の半数以下です
○15時10分頃
上空に黒雲
雷鳴を確認
○15時20分頃
殆ど夕刻の様に暗くなる
強風、雷鳴頻り
○15時27分
降雨と共に落雷を確認
○15時28分
降雹確認
←15時29分流山派出所で小生
ストロボに水滴が写り込み見難い・・・・
←15時29分流山派出所前
○15時30分
降雨激しく土蔵が見えなくなる
○15時40分
派出所内全員で寿美屋さんの差し入れを頂く、美味!
★16時頃
北海道釧路管内釧路市・厚岸町などで大規模停電発生
○17時頃
雨が上がる
○17時30分
第三業務隊・外村警士が退出し帰宅
○19時30分
少雨の中、第三業務隊・倉科第一小隊長が退出し帰宅
○20時25分
卒業論文に関する指導を兵部卿閣下より受けていた第三業務隊・大川警士が退出し帰宅
○20時40分
施錠して全員退出、本部へ移動
○21時10分
本部帰着し幹部懇談、今後の企画や戦略に関する打ち合わせ
と流れたものですが
真岡の竜巻は位置的に不明でも
筑波山西麓や常総市での竜巻となれば
雲くらいは見えても・・・
と考えておりました
松戸市松戸までは直線距離で7.5キロ
スカイツリーのある曳舟までは16.5キロの位置で
地図から調べると確かに30キロの位置にあるものは見えないのが当然ですが
そんな強大なエネルギーを秘めた巨大な積乱雲を
その時間帯に小生は認識出来なかったもので
唯一
13時17分に路地から撮影した入道雲がそれならば
30キロも離れると全く分からなくなる事が痛感出来ました
昨春の大震災や津波
昨夏の猛暑
そして大きな月
05月21日の日食
それに強力竜巻
古代から中世まで
天変地異とされた要素がまさに出揃いまして
立正安国論(文応元年七月十六日=1260年08月24日に日蓮大聖人が幕府に提示したもの)
に著されたる
「旅客来たりて嘆いて曰く・・・」
が
過去のものと言うより
現在進行形の古文書に感じるものです
さて
上にございます通り
今回の寒気による天候急変は凄い速度を伴い
周囲が暗くなりましてから雹が降るまで20分
比較的空が見えます場所で
天候が気になっていた気象マニアの小生の観測でありますから
これが通常・一般の方ならば
もっと変化に気付くのが緩慢となるかも知れません
気象統計上では
今年が異常ではなく
強力な竜巻やダウンバーストによる死亡事故は
平成20年11月07日13時23分に北海道佐呂間町で発生し
死亡9名/負傷31名を出した距離1.4キロ/継続1分のF3竜巻事故があり
平成17年12月25日19時14分頃に
東日本旅客鉄道羽越本線砂越~北余目間第二最上川橋梁付近で発生し
死亡5名/負傷33名を出した
特急第2014M列車「いなほ14号」脱線事故
など
ままある自然災害であります
それを宿命とするならば
避けられないものもあるかも知れません
しかし
とにかく空に雲に風に波に土に
ちょっと注視して
助かる生命や人生があるならば
とにかく助かりましょう
それが何より
亡くなられた方々への回向であります
この事故で亡くなられた少年の御冥福を深く御祈念申し上げ
注意喚起のために書き著しました。
まぁ過去の経験から長い連休の終わりになりますと
むしろ御来訪が多くなります
千葉県流山市流山二丁目
地元では根郷と申します地区ですが
前日の土曜日
この連休中に北総史学舎企画で
甲冑体験を実施致しまして
3500円の料金に対して事前告知は幾つかのブログなどだけだったのに
5日間で5件
好評でありました
が
最終日に於いて
一人の無限な少年の生命を失うものとなった
まさに災禍の日となってしまいました
しかしとても違和感がございます
報道や気象庁の記事を読み返しますと
「13~14時に発生した竜巻」
と出て参ります
今回の竜巻で大きな被害を出した
「常総→筑波山麓間」
報道で多く見掛けた
つくば市北条の国道第125号線沿まで
直線距離で39キロ
この竜巻の発生起点とされる
常総市石下地区まで
直線距離で29キロ
その時間
流山市根郷は
温度25度を越えて
夏そのものの晴天でした・・・
では
特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊第三業務隊
05月06日
流山派出警備実施日報(北総新選組)
と
報道や小生の目撃などから
一日をまとめます
普段の流山新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)は
住宅街の路地裏にひっそりと在る
史跡と言うよりもモニュメントです
昭和51年に観光協会名義で現在の所有者・秋元浩司氏が
近藤勇陣屋跡石碑
を設置して認識された流山新選組本陣跡ですが
そもそもは永岡家こと鴻池と言う屋号の地回酒問屋(江戸・日本橋)が設置した
「流山醸造支社」
だったと言うことで(歴史企画研究主宰・あさくらゆう氏解析による)
明治22年から大正初期までは
この土蔵がある場所には
「流山町役場」
が所在しておりました
但し
その南側一帯と東側の土地は
鴻池が土地を割譲した「志摩屋」から明治19年に取得し(秋元浩司氏証言による)
現在の「株式会社秋元販売部」と母屋は
その際に新築されたものです
幕末・慶応四年四月三日に官軍と遭遇した徳川家勘定組頭・旗本・大久保大和守剛率いる
徳川の陸軍隊
が仮設本部=本陣とした「鴻池=長岡屋(永岡屋)」は
その現駐車場や家屋・倉庫の一帯と
西側の流山街道旧道に面した「店」(根郷古老の複数証言による)で
大正07年に現・秋元藤之助家が
現在の流山市流山福祉会館の場所に移転した町役場の跡地を購入し
別途土蔵を移築したものです(秋元本家証言による)
←05月05日16時53分本陣前 現地に残る伝承が混乱し
今日まで
「新選組・流山転陣」
の事由が不明で
その本陣も一部資料(流山市史)では「店」を指している事や
文書がとても意図的と思える程少ないこと
なにより
「転陣日付の不確定」
そして
戦前に始まった「鞍馬天狗連動型新選組ブーム」の影響で
新選組の見せ場=池田屋騒動
つまり
新選組=京都
の図式が確立され
千葉の片田舎なぞ「舞台」として軽視されたことで
新選組研究家を自称する皆様も
長く「スルー」していたものですが
綾瀬新選組研究会代表・増田光明氏が
昭和51年に発見された
「金子左内家文書」
を分析して
慶応四年四月一日~二日正午までに流山へ移動完了
慶応四年四月三日夕刻に官軍と遭遇し、夜半に大久保大和守が東山道軍先鋒隊本営に出頭の為出発
慶応四年四月四日昼に武装解除(ミニエー銃180丁押収の官軍記録あり)
と
日付が明確化して
当時の武蔵国足立郡五兵衛新田から葛飾・新宿まで荷駄手配をした事まで
判明したものです
ちなみに・・・・
根郷古老のお話や水運史に明るい方などの証言から
「近藤・土方、永遠別離の地」
と一部マニアが騒ぐ「やっから(矢河原)の渡し」は
この当時徳川家関東郡代支配地である根郷地区ではなく
北隣の駿河田中藩支配地・加岸地区にあり
現在の「案内標柱」の場所と異なるとか・・・
代々水運業をされていた方の御子孫がお教え下さったところによると
「根郷にも埼玉側に連絡船舶の桟橋が古くからあった」
そうで
「それは何とかの渡しなんて言わなかったなぁ」
そうです
さて。
その
大久保大和守剛こと近藤勇藤原昌宜
と
内藤隼人こと土方歳三源義豊
が「覚悟」の地
流山新選組本陣跡の05月06日・・・
○10時00分
北総新選組こと鉄道輸送警備隊第三業務隊要員二名現場到着し現状確認
○10時50分
第三業務隊第一小隊長・警士長・倉科右近将監他二名
流山派出所=閻魔堂を開錠し設営準備開始
○11時00分
流山新選組本陣跡(現・株式会社秋元)案内カウンターと「記念写真用パネル」設置完了
同時に担当指揮者である
第三業務隊筆頭副隊長・統括・稲葉式部大輔
総隊管理幕僚・岩崎安房守
現場到着(以降、現着)
○11時05分
各部点検しマガジンラックを設置するのみで警戒開始
★11時10分
富山県魚津市で農作業(トラクター運転中)の男性が落雷が原因と見られる事故で死亡
○11時40分
兵部卿閣下現着
★同時刻
福島県会津美里町で突風による被害発生
★11時53分
東日本旅客鉄道奥羽本線米沢駅一帯で停電の為に運行システム障害発生
★11時54分
気象庁が栃木県域に竜巻注意情報発令
○12時25分頃
この頃小生の恋人であります本陣向かいのワンコ(芝)「ナナ」ちゃんがお散歩出発と記憶
○12時30分頃
気温25度を超えて湿度高く安房守(小生)シャツのみとなる
東風時折
★同時刻
栃木県真岡市から茨城県常陸大宮市に掛けて大型の竜巻が発生し家屋等被害多々
※負傷11名・建物被害933件
○12時45分頃
寿美屋さんがハンバーグサンドイッチと豚角煮を差し入れて下さる
★12時48分
気象庁が茨城県域に竜巻注意情報発令
★12時45分
茨城県常総市からつくば市に掛けて強力な竜巻が発生し家屋倒壊・人的被害甚大
※死亡1名・負傷37名・建物被害847件
○13時00分頃
兵部卿と協議し資料用に甲冑着用の撮影をするものと決定し要員三名の警戒任務を解除
「ナナ」ちゃんお散歩から戻り、「ナナちゃんママ」さんから埼玉方面で雷鳴との証言
★13時頃
茨城県常総市から桜川市に掛けて大型の竜巻が発生し家屋等被害多々
※負傷3名・建物被害212件
○13時13分
甲冑着用がほぼ完了
東風時折強し
←13時13分、流山派出所にて。兜の位置決め中。○13時14分
全身の撮影、日差し強くイソ感度100でシャッター速度1/125、絞り8と記憶
←13時14分、日陰でその絞りでした○13時17分
撮影場所を浅間神社に移動す
下の画像は閻魔堂から常与寺に向かう途中の路地ですが
この路地は北北東に向いておりまして
筑波山に向いております
この白い雲の下で大変なことになっていたなんて想像もしませんでした
←13時17分、背後の雲はほぼ筑波山方角に該当○13時20分
浅間神社に現着
レフ板をセットして撮影開始
方向は失念しましたが風が強くなりはじめていました
←13時28分、浅間神社。レフに反射する日差しが強いレフ板が風に煽られるため
メンバー二名が押さえていました
←13時29分 西側に雲はありません
←13時34分 まだ夏状態で
甲冑の中も温度上昇
しかし
本人は希望して志願したもので
興奮のためか一切愚痴も言わず・・・
←13時36分 ○13時40分
かなり風は弱まる
新設となった洋食+パン屋が向かいの為に覗き込む旅客少々
←13時40分○13時45分
浅間神社での撮影を完了し、派出所へ帰還の為移動開始
★13時47分
東日本旅客鉄道東北本線盛岡駅構内に落雷し東北新幹線と田沢湖線が信号機支障の為に抑止
○13時50分
筆頭副隊長休憩の為に派出所へ戻りふわふわ(まったり)する
★14時18分
埼玉県桶川市で落雷の為に3名が負傷し12歳の少女が意識不明の重態となる
○14時20分
急に風がひんやりとし始めて、南西方向に黒い雲が急速発達接近するを視認
○14時30分頃
北方向に黒雲、風や雲の流れから雲渦の軸があるのを眺める
○14時50分頃
西側の雲が北側・南側に進出し、北側から北北東に異動した雲渦がはっきり見え
風が急に冷たく強くなる
天候急変の為に案内を中止しカウンター等撤収指示
○15時00分
案内・警戒を終了し派出所へ撤退
第一機動警備隊第一小隊長・主任補・中村伊賀守応援の為に現着
※この日の本陣御利用等実績は74名→通常の半数以下です
○15時10分頃
上空に黒雲
雷鳴を確認
○15時20分頃
殆ど夕刻の様に暗くなる
強風、雷鳴頻り
○15時27分
降雨と共に落雷を確認
○15時28分
降雹確認
←15時29分流山派出所で小生 ストロボに水滴が写り込み見難い・・・・
←15時29分流山派出所前○15時30分
降雨激しく土蔵が見えなくなる
○15時40分
派出所内全員で寿美屋さんの差し入れを頂く、美味!
★16時頃
北海道釧路管内釧路市・厚岸町などで大規模停電発生
○17時頃
雨が上がる
○17時30分
第三業務隊・外村警士が退出し帰宅
○19時30分
少雨の中、第三業務隊・倉科第一小隊長が退出し帰宅
○20時25分
卒業論文に関する指導を兵部卿閣下より受けていた第三業務隊・大川警士が退出し帰宅
○20時40分
施錠して全員退出、本部へ移動
○21時10分
本部帰着し幹部懇談、今後の企画や戦略に関する打ち合わせ
と流れたものですが
真岡の竜巻は位置的に不明でも
筑波山西麓や常総市での竜巻となれば
雲くらいは見えても・・・
と考えておりました
松戸市松戸までは直線距離で7.5キロ
スカイツリーのある曳舟までは16.5キロの位置で
地図から調べると確かに30キロの位置にあるものは見えないのが当然ですが
そんな強大なエネルギーを秘めた巨大な積乱雲を
その時間帯に小生は認識出来なかったもので
唯一
13時17分に路地から撮影した入道雲がそれならば
30キロも離れると全く分からなくなる事が痛感出来ました
昨春の大震災や津波
昨夏の猛暑
そして大きな月
05月21日の日食
それに強力竜巻
古代から中世まで
天変地異とされた要素がまさに出揃いまして
立正安国論(文応元年七月十六日=1260年08月24日に日蓮大聖人が幕府に提示したもの)
に著されたる
「旅客来たりて嘆いて曰く・・・」
が
過去のものと言うより
現在進行形の古文書に感じるものです
さて
上にございます通り
今回の寒気による天候急変は凄い速度を伴い
周囲が暗くなりましてから雹が降るまで20分
比較的空が見えます場所で
天候が気になっていた気象マニアの小生の観測でありますから
これが通常・一般の方ならば
もっと変化に気付くのが緩慢となるかも知れません
気象統計上では
今年が異常ではなく
強力な竜巻やダウンバーストによる死亡事故は
平成20年11月07日13時23分に北海道佐呂間町で発生し
死亡9名/負傷31名を出した距離1.4キロ/継続1分のF3竜巻事故があり
平成17年12月25日19時14分頃に
東日本旅客鉄道羽越本線砂越~北余目間第二最上川橋梁付近で発生し
死亡5名/負傷33名を出した
特急第2014M列車「いなほ14号」脱線事故
など
ままある自然災害であります
それを宿命とするならば
避けられないものもあるかも知れません
しかし
とにかく空に雲に風に波に土に
ちょっと注視して
助かる生命や人生があるならば
とにかく助かりましょう
それが何より
亡くなられた方々への回向であります
この事故で亡くなられた少年の御冥福を深く御祈念申し上げ
注意喚起のために書き著しました。