鉄道輸送警備隊に於ける武士道の概念に関する基本的指針
                          平成二十三年十一月二十八日
                          鉄道輸送警備隊総隊執行幕僚長

 今般、特定の企業・国家等とその原因を探すことが困難な、国際的規模による経済均衡の崩壊の影響による不況が続く中に在り、国際為替の異常化と、それに連動し産業経済引いては国民生活を破壊至らしめた労働=経済基盤の海外流転による、国家経済の崩落と、その状況下に於いて自然を起因とする大規模広範囲に被害・影響を及ぼす災害が続いて発生し、太平洋戦争終結後より営々として無数の先人達によって構築された復興、そして連続した経済発展と言う図式は、既に過去の概念となった。
 また、日本国有鉄道経営破綻を発端とした我国一貫型鉄道交通の基本姿勢もまた、その着手より四半世紀を過ぎて交通ネットワークの著しい偏向・細分化とそれに伴う地域文化・地域経済の崩壊へ今後更に進行する情勢にある。
 視点を多面的に移し、広く考えた場合にはその方向・評価に差が発生することはむしろ自然であるが、その論議を繰り返すうちに消滅する道や街、そこに住む人間の生活に関する無保証・無責任の責めは、感情的・心情的視点を排除しても広く国民が共有しなければならない。
 この様なまさに乱世にあって、これからの時代を築くべき青年を中心とした人間の集合体を今後も着実に運営し、展開し、更に公益有為な人材を輩出して行く為には、これまで三十年蓄積した経験や実績だけでは困難である。
 殊にモラルハザードの時代と呼ばれる環境の中に於いて、あくまで他者の影響偏向を排除し、「正義」を標榜するには、その論理的裏付が不可欠である。
 こうした情勢と現状我が鉄道輸送警備隊総隊の現況に鑑み、あくまでも鉄道輸送警備隊の中に於いてのみ限定する「武士道」並びに「義」に関して、その概念に関する基本的指針をここに定め、今後の要員指導及び運営計画策定に活用する事を期するものである。

一、歴史に見る武士の定義
 武士若しくは侍と言う存在は、洋の東西を問わず人間が集団を以て「社会」を発生させた際に、その治安維持や防衛を目的として武装した者若しくはその集団として特定或は専業となり併発したものと考えられる。
 その基本は自身が属する「社会生活」の防衛が主旨であり、これは今日の軍事・警察組織も変わるものではない。
 ところが軍事が政治の要素として不可避且つ重要度を増し、やがて為政者の指揮管理下にあった武人が政治の実権を取るようになると、戦争・紛争に際しての保険であった「軍事」そのものが政治を左右する状態となり、庶民は戦時に於いて「兵」となる事が常態化した。
 意思・思想・目的に多少の差が許容された頃と異なり、その規模や影響が大きくなると、指揮統率の効率化を高めることが重要となり、その中で意識統一の手法として後に「武士道」とも言える兵士並びに軍事要員の心得が発生した。
 我が国では中世に於ける軍政体制が近代まで継続する中で、戦争が日常化していた時代が「原則休戦」の時代に変わり、武士が地方為政者や豪族・兵卒を経て地方管理者や官僚・庶民に変化した。
 形骸化した軍事組織は明治維新に臨み、その限界を幾多経験し、やがて「武士」は「兵隊」へ役割を移した。
 注目すべきはその移行期に於いても尚、「武士」だった者が政治の中心に位置し、その意識統率の手法としての「武士道」は、更に忠誠心や盲目的服従を要求する内容を加味して、「国民皆兵」の推進に活用されたと考える。
 終戦後、多面的に国家や国民の意識変化が誘導された後も、大幅な変化がなされたものの「武士道」と言う概念は残留した。
 それは警察官・海上保安官・自衛官など職業の特性上から自然に残ってしまったものや、武道家による技術向上や習得促進の補助的役割としての「業務上精神論」、また集団を構成して何らかの目的を達成せんとした時の「求心軸」としての「原理論」などである。
 更に男子に於ける精神的存在・姿勢など「人生論」として変化派生した「武士道」もあり、今日その「武士道」は多種多様が存在し、その目指す存在意義や目標も千差万別となっている。
 しかし、そもそも源意の武士道の基本は「防衛すべき主たる者の存在」であり、その「主」が何であるか、また盲目服従を要求する以前に目的・意識共通の必要性が何に「掛かる」のかが明確で無ければ、その口々に詠われる「武士道」は酷く曖昧にして好い加減な観念論でしか無くなる危険を認識する者が多いのも事実である。

 他方、「武士」の明確な概念を求めると、それは明治維新・廃藩置県以前の体制に於いて、地方管理者たる大名等領主との「雇用契約」に基づいて、その俸禄若しくは所管の領地を保障され「人別帖」に記載された者(家中」など)と定義される。
 長く戦争に縁遠い環境下に於いて、「武士」は「公務員」と変質しているのである。

二、今日法制より読み取る「武士道」
 武士の定義を今日に見ようとすれば、憲法に於いて戦争を紛争解決の手段として「原則的」には放棄した我が国の場合、近代化した「武士」=軍人は存在しないこととなっている。
 しかし戦争を「目的を共有した集団による多発的殺傷行為」と読み替えれば、戦争と宣言されていなくとも、「武闘」つまり各自の生命を犠牲とした争議は今日も絶えていない。
 最も明確なものは消防官並びに消防団で、全く予期しない場所に於いて、交渉説得の通用しない意識の存在しない「災害」を相手に、消火鎮圧・救助と言う危険な業務を専らとする彼等は紛れもなく「戦って」いることになる。
 また現場臨場警察官はもっと直接的に犯罪者と言う「敵」に向かい、生命の遣り取りをしており、その「敵」も武装している件が相対的に多いことから考えれば、今日の武士と言って過言ではない。
 それは「備え」と称して生命の遣り取りを前提とした業務に従事することを専らとした自衛官とて同様である。
 それら特殊な公務員は源意の武士にまだ近い立脚点にあり、その法制から今日に於ける「武士道」を探ってみる。

警察法(昭和二十九年六月八日法律第百六十二号)
(警察の責務)
第二条  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2  警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

自衛隊法(昭和二十九年六月九日法律第百六十五号)
(自衛隊の任務)
第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2  自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一  我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
3  陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。

海上保安庁法(昭和二十三年四月二十七日法律第二十八号)
第一条  海上において、人命及び財産を保護し、並びに法律の違反を予防し、捜査し、及び鎮圧するため、国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 の規定に基づいて、国土交通大臣の管理する外局として海上保安庁を置く。

 以上、要点部分のみ抜粋したが、警察法と海上保安庁法では明確に「人の生命・身体・財産の保護」と明記し、また自衛隊法では「我が国の平和と独立を守り」として、国家と言う仕組の保全を基本に、この国土に居住在勤する人の安全を保つとする精神を文底に織り込んでいると解釈出来る。
 それら「今日の武士」たちに求められている共通事項が「人の生命・身体・財産の保護及び安全」であり、法制上から考察すれば、今日の武士道とは「何の落ち度もない人間の生命・身体・財産を守る」ことが根幹であり、これは「国民主権」とした日本国憲法の精神に沿ったものであると言える。
 つまり、今日「公務員」武士に於ける武士道は、人間を守ることが主幹=「義」であり、特定個人並びに集団・企業の利を根本とした「我侭勝手」な心理的若しくは利益増進を主観として、不特定多数の「人」が不利益となる行為や精神論は「不義」であると明快に説いているのである。

三、鉄道輸送警備隊に於ける「武士道と義」
 以上の法制上から掬った「武士道」や「義」の定義はそのまま国民全てに「原則的」に適用若しくは要求されているものではないとする考え方をする者が存在するが、表現を変えて多面的にそれは存在するのが事実である。
 例えば、自動車等による対人事故が発生した場合など、自身の危険が及ばない範囲に於いてその救助をする義務に関しては法制上明文化されており、また犯罪や災害に直面した場合も、救助の義務は負わせていないものの、その関係箇所の通報や自身の危険が及ばない範囲に於ける被害拡大防止を明文化している職業・立場が幾多もある。
 「助け合い精神」とも解釈されるが、その最たるものが刑事訴訟法に規定された「現行犯逮捕」である。

刑事訴訟法(昭和二十三年七月十日法律第百三十一号)
第二百十二条  現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。
○2  左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。
一  犯人として追呼されているとき。
二  贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
三  身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
四  誰何されて逃走しようとするとき。
第二百十三条  現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。
第二百十四条  検察官、検察事務官及び司法警察職員以外の者は、現行犯人を逮捕したときは、直ちにこれを地方検察庁若しくは区検察庁の検察官又は司法警察職員に引き渡さなければならない。
第二百十五条  司法巡査は、現行犯人を受け取つたときは、速やかにこれを司法警察員に引致しなければならない。
○2  司法巡査は、犯人を受け取つた場合には、逮捕者の氏名、住居及び逮捕の事由を聴き取らなければならない。必要があるときは、逮捕者に対しともに官公署に行くことを求めることができる。

 これは司法権の有無・職業・国籍・性別・年齢を問わず「何人」でもと明文化されていることから鑑み、義務としての性格もあるが、同時に権利としても存在することを明確化している。
 犯罪発生に直面し、その被疑者を拘束し、拠ってその事件の概要・原因を分析し処罰すると言う仕組の徹底は、同時に犯罪に対する有効な抑止となると同時に「人の生命・身体・財産の保護」に直結する行為であるからに他ならない。
 しかし、その法文に「逮捕することができる。」とあり、これはその行為を強制し要求するものではなく、言い換えれば自身の危険を冒して行う必要はないとも読み取れるのである。

 一面的に無関与な人間がその行為を目撃した時、それが明確に犯罪と判別出来る内容・事案であるとは限らず、その「被疑者」に「犯罪と認識された行為」の適法・有効性と合理性の判断に関しては、司法権者が行うべき範疇となることから、現行犯逮捕は「何人」でもできる、がその事情聴取等の取調(職務質問)は司法巡査・司法警察員のみに限定されている。
 現行犯逮捕の興奮から氏名や行為原因を問いただせば、逮捕そのものは不当ではないものの「不当行為」=法に反する行為者になる危険がある。
 この自身の権利と同時に「分」を弁えた行動が、その行為を「正当」とさせるものである。
 もっと言えば、万引(窃盗)を視認した店舗従業員や受託警備員が、その現行犯逮捕を行い身柄の拘束をするまでは適法でも、氏名・住所などを聴取すれば不当となり、その上で保護者や勤務先への連絡をほのめかす行為は既に脅迫であり、その発言をした者もまた「犯罪者」となるのである。
 厳密に言えば、それら犯罪行為者に「商品の買取」を勧めて事なきを得る方策は、司法権冒涜となる危険性が高く、それ自体が「犯罪」と認定される場合もある。

 ここで武士道とは、その「義」を裏付けとした精神・行為・姿勢であると仮定し、その上で鉄道輸送警備隊に於ける「武士道と義」を確認する。

 さて、社会通念上、広義に於ける「義」とは「人の生命・身体・財産の保護」と、「その生活や安全の防護」が根幹であり、「武士道」とはその「義」を主眼として「自身の分を認識し弁え」て、日常若しくは急迫不正の状況に臨んで自身の危険を冒さない程度に於いて「行動」出来る心得或は心構えのことを指すものとし、鉄道輸送警備隊並びに特定非営利活動法人交通文化連盟は、以下鉄道輸送警備隊規約を制定している。

規定第3号・鉄道輸送警備隊規約
(目的)
第一条 鉄道輸送警備隊は、鉄道・交通文化及び地域観光の利用促進と振興を主眼とした蒸気機関車牽引列車・企画列車(以下、企画列車等)の運行に際して、当該列車及びその沿線等に於て、列車運行の定時と当該列車乗客及び一般乗客、観覧者等の防犯防災等安全の確保を主眼とした鉄道輸送警備並びに、自治体や特定非営利活動法人・商店街などの公益組織(以下、公益団体等)が主体となる催事や、広く地域の防災防犯を主眼とした自主防災防犯警戒活動を展開し、勤労者並びに青少年の社会貢献参加を促進しつつ、地域の発展と健全・安全で社会文化的住環境の実現を目指し広く国民の福祉増進に寄与するを目的とする。

 この条文に於いて、「防犯防災等安全の確保を」及び「地域の発展と健全・安全で社会文化的環境の実現を目指し」とした真意は、先述した仮定の社会通念上に於ける「義」と「武士道」を反映させたものであるが、これを更に深化・解析し定義する。

 そもそも鉄道輸送警備隊は、蒸気機関車C623機復元営業運行実現を目標として、その旅客・沿線にある鉄道ファン並びに地域住民等の個人に於ける安全確保と、列車運行定時を防護することによる企画実施の円滑化と警備関係費用の低減を目的に設置した組織で、拡大すれば特定した企画・路線・地域に限らず、旅客や鉄道ファン等個人の生命身体財産の保護を行うべく展開を進めてきたものである。
 その実施に伴っては先ず「私人」として「組織管理下にあり特段の権利が無い」という原則=分際を弁え、規律を身に備えるべきとの指導を行ってきたが、近年史跡を中核とした地域観光創造に特化した部隊を設置し、その効果影響が浸透しつつある中に於いて、主題とする分野が「武士」の存在が日常的であった時代であることから、その要員並びに関係者間の会話でも「武士道」との文言が多く聞かれるようにもなり、個々の任務参加に臨む際の精神的軸の一つとして鉄道輸送警備隊としての明確な「武士道」と、その論拠たる「義」を定め、その要員指導や展開・企画に於いても活用するべく画策したものである。

 先ず、鉄道輸送警備隊に於ける「義」は、
一、人の生命・身体・財産を保護すること。
二、地域活性化の根幹たる人の交流の場を中心に笑顔の場を創ること。
三、受益者は特定されるものでなく、結論的にはより多くの人に共益=公益であるべきこと。
 以上定義しその実施に臨む姿勢・精神としての「武士道」とは、
一、常に公明正大にして適正遵法であること。
二、護るべきものは人の笑顔であること。
三、私心私益を捨てて公益公義を基本とした姿勢であること。
 と定義した。
 留意すべきは、ここで定義した「武士道」と「義」とは、例えば個人的交流(人間関係)に於ける義理とは異質であり、その主とするものがあくまでも「不特定多数の人に有益となる」ことに帰結すべきものである。
 それが社会通念上常識とされる範囲にある礼節となるものであれば、それは「武士道」や「義」を論ずる以前の個人的礼儀節度の問題である。
 加えて、その義理・礼節は相互に理解し第三者に於いて広く認知理解されるものであるべきものであり、一方的押し付けの反復報酬としての儀礼を要求することは、むしろ義とはならず無礼というべきものである。
 他方、如何に自身若しくは自己が所属などする組織が、公益非営利を標榜したとしても、その参加等関係している或は経験した者の半数以上が不利益若しくは不愉快となった場合、これも公益に寄与とは言い難く、むしろ「公悪」となる。
 その行為を組織的或は個人が協力し推進し支援すること自体も、やはり同じく「公悪」と見なされることは、一般社会通念上常識と判断され勝ちで、それらに鉄道輸送警備隊が関与若しくは関係することは、公共の利益に反する行為と類推され、厳しく禁止するものである。

 もう一つ、重要な点は責任である。
 自己の行動行為に於ける責任の所在を明確とする事が、同時に自身の行動を律し、且つ行動行為に於いて自信や姿勢の厳正に有効である事は論を待たない。
 今日、政治・社会の多くでその責任の明確を避け、広く起こった事案や課題の解決を紛然として隠蔽し、反省・発展への方途を閉ざしてきた結果が今日「乱世」の一因であることもまた、陰意周知である。
 過去歴史に於いても責任の明確(切腹や謹慎)が、一般通念として「武士の心得」の大きな要素であったことなどからも、「武士道」を口にする際には責任が伴うと断定して差し障りはない。
 また、他者の責任を追及するには、先ず自己の責任やその責任追及の権利や必要など事由が、広く第三者から観じて不公正でないことと認識されるものであり、併せて追求する者の責任も明快とすべきと考える。
 他方、個々の責任はその職責・階級・分掌される分野内容、そして個人・団体等の所属の有無と、個人・団体等のどの立場に於いて発生・義務負荷となるかが異なる。
 その自身の立場が変われば、当然負うべき責任も変わるのであって、無論一貫して普遍的義務・責任もあるが、その立場の違いを認識することは自己責任の確認をする上で何より不可欠である。
 鉄道輸送警備隊では階級・職務分掌及び特定非営利活動法人交通文化連盟の会員類別により一定の責任・義務範囲をガイドラインとして設けており、社員(総会に於ける議決権を有する正規会員のことで、特定非営利活動推進法に規定されるもの。)で無ければ部隊指揮官に任ずることが出来ないとしたものなどその一例である。
 この立場と責任の範囲に関しては、今後更に指導強化を図るべきものであるし、それはここで言う「武士道」の根幹でもあり、対外的行動並びに協力者に於いても徹底すべきものである。

 何より「武士道」は、個々が自身の行動に臨み公明正大にして何人に対しても忌避・畏怖することがなく、威風堂々と自身を律して生きる「姿勢」として捉えるべきものであり、自身に虚偽・不正が無く、また虚偽・不正を排除しその上で公益無私な行動をすることが何より「正義」と定義して差し障りは無いと認識するものである。
 自身の時間や財産を費やし、公益無私に自身を行動をすることは、慢心にして自身虚飾の材料とする必要すらないが、自身堂々と出来る内容であることは疑う余地はない。
 その上で自身を律し、組織人としても個人としても現場に立ち、他の人が個人的に使っている余暇を公益に費やす誇りを忘れずに在れば、結果として自身の人間力養成に結実することも何ら不自然なものではない。
 幾多の毀誉褒貶と、正論正視による意見の違いを深く認識し、自身や組織が常に正義に指向しているかどうかを常に検証しつつ、慎重に検討研究分析をし大胆不敵に行動展開することが、自身の「勝利」への最短路であると断言するものである。

 以上、各位深く認識し、今後の自身育成と組織発展に寄与を期するものである。

 北海道鉄道研究会設立三十年に臨み

 特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊総隊執行幕僚長 指令 吉野 義将 之記