この場を借りて、「ざんげ」したいことは? ブログネタ:この場を借りて、「ざんげ」したいことは? 参加中

小生
仏法者でございます故
ヤソに言う処の懺悔
なんぞ・・・
しかし
いや。
反省は人の幾倍も多い
人生にございます。

丁度
03月に
流山新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)に於ける
我等
特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊第三業務隊
通称「北総新選組」
この通例の観光案内防犯ボランティア活動中
流鉄株式会社鉄道部の方が
流山新選組本陣跡に御来訪となられ
「若葉」引退
に関するお話を伺った時から
今回の小生の反省は始まります

震災の影響で
特定非営利活動法人交通文化連盟文化局管轄/第一機動警備隊担当の
「レールフェステ」
が休止となりまして
そこで「身の空いた」
第一機動警備隊副隊長・渡辺越前守に
今回の企画を丸投げ致しました
実は
震災で事務所は崩壊状態でしたのに
既に04月02・03日の
試験的主催催事「志誠祭」
この準備に追われておりまして・・・・

越前守曰く
「流鉄の電車・・・車内広告寂しいですよね・・・」
せめて最後は
車内広告を埋めてあげたい・・・
そんな事からこのコンテンツが着手と相成りました

ところが
肝心の主電算機にしまっておいた筈の
「3000系第一編成流星引退セレモニー実施」
に関する書類が
見当たらなくなってしまって
おまけに
印刷機も不調この上無い・・・

と。

男の子と
お母さんが
流鉄流山駅でこんな会話をしておりまして・・・

「お母さん、若葉引退すると何処に行っちゃうの?」
「何処かしら・・・」
まさか
流山駅で真っ二つにされて
トラックで工場に運ばれて
スクラップにされるんだぜ
なんて。
事実であっても
そんな無粋は言えません
そこで
「若葉」
そのものが
御客様にメッセージを送る
それを
最終便到着から約1時間の
惜別展示留置の間だけでも
車窓に貼り付けて・・・

考えたのでございます。

平成23年05月15日(日曜日)
気持ちよく晴れた休日と相成りましたが
この日
仮眠を少々取りまして
第三業務隊隊長・相馬弾正から譲られた
A3ノビまで使えるプリンターで
その
「若葉くんメッセージ」

打ち出したものです。

近くの花屋が
開店するのを待ちまして
弊連盟の緊縮予算の都合で
花束はコンパクトでしたが
それを二つ
自転車に乗せて
現場本部の
閻魔堂に急行致しまして・・・

当日は
レギュラーメンバーがほぼ全滅
しかし
部隊は「支援軍」を含めて
かなり充実の陣容で

「志誠祭」の折に
「ガンダム」となって下さいました
マジンガー大久保氏
も合流
更に
日本史探偵団のO閣下
幕末ヤ撃団の梅原様
幕末筋肉のカラス様
歴史研究家のあさくら先生

凄い皆様が御参集となられ

これに
第三業務隊副隊長・松山掃部助
第三業務隊警士長・宮城主水正
そして
数年ぶりとなる
第三業務隊警士長・里見左近将監
が加わり

この
北総新選組スタートである
平成16年から
メンバーである
「古参幹部」
の参集が
寝不足でフラフラの小生に取りまして
百万の兵に超える
勇気と才気を・・・

14時30分
第三業務隊筆頭副隊長・稲葉式部少輔以下
小早川警士
見習中の地元・流山や野田のメンバー
に本陣と閻魔堂の守備を頼み

第三業務隊「北総新選組」
第一機動警備隊

第一機動警備隊隊長・宮本伊豆守が
率いる私服の遊撃班「特命班」
による
混成部隊を配備し
流山駅に
このA3サイズ6枚の資材を持って参りまして
手間が空いた場合
これを車窓に・・・

御願いしたものです。

第三業務隊・堀川伊織の司会第一声で
セレモニーが開始され
運転士さん
車掌さん

相馬隊長
松山副隊長

花束を贈呈・・・

常在戦場!~安房守義将之勝手御免~←機材担当の中村伊賀守が撮影。

相変わらず
撮影チームが居ないもので
機材担当者が
記録撮影も兼任すると言う有様
本当は
相馬・松山と「若葉」の
記録画像が欲しかったのですが・・・

実は
この企画も四度目で
「流馬」(二代目)
「明星」
「流星」(二代目)
と同様のセレモニーと周辺防災警戒をして来ましたものですが
記録担当者がまともに置けませんで
実に「告知物資材」
として使える画像に乏しく・・・

さて。

15時07分
最終便が到着いたしますと
流山駅事務室から
鉄道部の担当者様が資材を持って「若葉」に・・・
いやいや
恥ずかしい限りの駄文
それでもと張り出して下さいまして・・・
が。
指示メモが例の汚い文字だったもので
実は5番と6番(クハ32号掲出のもの)
逆になってしまったのです・・・

なもので
ここでお詫びを兼ねて
全文を掲載致します。

(クモハ3002号・流山方より)
僕の名前は若葉です
僕は昭和45年7月に
西武所沢工場で生まれました
ちょうど秩父まで線路が伸びて
都会の通勤電車のほかに
山道の路線でも走ってきました

※西武秩父線開業用に作られた101系電車131F編成として製造されました

僕が流鉄にやってきたのは
平成11年7月26日のことです
もともとは4両だったものを
色も変えて3両に改造しました
そして若葉という名前になり
12年間も走ってきました

※改造と塗装は西武鉄道所沢車両工場で行われ、武蔵野線を通って流山に回送されました

この車両はクモハ3002号です
流山駅に向く運転台つきのもの
運転士さんの乗る運転室と
台車にモーターがあります
もとはモハ132号といって
別の車両から運転台をつけました

※クハ1132号の運転台を取り付ける大改造工事をしました

(モハ3102号)
この車両はモハ3102号です
3両編成のまんなかで電動車です
パンタグラフとモーターがあり
そのモーターをきちんと動かす
主制御器もこの車両にあります
もとはモハ131号といいました

※多くの電車は一つが重くならない様に色々な装置を2両に分散して搭載しています

(クハ32号)
この車両はクハ32号です
馬橋駅に向く運転台のある車両で
やさしい顔とほめられています
僕は全部の台車が空気バネつきで
とても乗心地がよいといわれます
もとはクハ1131号といいました

※空気バネは現在、ほとんどの電車や特急車両に使われています

僕は今日でさようならだけれど
乗ってくれたみんなのことや
大切にしてくれた流鉄の人たち
忘れないよありがとう!!!!
これからは弟たちががんばります
応援してくださいね         若葉
文 特定非営利活動法人交通文化連盟文化局 安房


常在戦場!~安房守義将之勝手御免~←車庫に回送される「若葉」

難しい。
実に難しいものでございます。

子供さんにも読める・・・
そんな文ほど
実に困難でございます。

ただ
流鉄の現場にお勤めである皆様が
まさに
愛情をもって
一両一両を大切にしていらっしゃる
それは事実でして
鉄道部長氏と
事前の打ち合わせに際して
「若葉は未だ使えるのは良く知っているのですが・・・いや、残念です」
その眼の優しく暖かい事
感動致しました

機械とは言え
それら「無機」のものでも
「記憶」

「感情」
はあると
小生は認識しております。
それは
小樽築港機関区で
C623機と
出会って縁を得た時から
「事実」
として
幾度も目撃したものでございます。
このメッセージに於ける
「若葉」の言葉は
僅かではありましょうが
車体枠や
台車や
床材や
手摺棒などに
蓄積された金属疲労痕と言う名の記憶領域に
深く刻まれた
「彼」
の心を伝える事が出来ておれば
何よりでございます。