ブログネタ:子供の頃なりたかった職業は? 参加中ふるさとの訛なつかし停車場のひとごみの中そを聞きにゆく(石川啄木)
でしたっけ???
←国鉄末期の上野駅正面昭和五十年代前半の
国鉄上野駅は
そりゃもう鉄道少年達のメッカで
朝から
エル特急やら
急行やら
夜には
寝台特急や
夜行急行など
一日居ても
飽きることなど無い
素敵な空間でございました。
それは
今日の
浦安遊園地なんざ
とても
及ばないほど
ときめきと
旅情と
発見と
感動が
自然体に動く
そんな場所でした。
そんな鉄道坊主が
そんな場所で働きたいと
考えるのは
まぁ
自然でして・・・
で。
小生は
国鉄職員に
それも
駅員に
それも
上野駅に
勤めたかったものでございます。
が。
あまりにオツムの出来が悪かったもので
鉄道高校にも落選しまして
まぁ
都立工業高校に
潜り込めたものでしたが
これがむしろ
幸運で
同年代の者達より
一足先に
国鉄上野駅のアルバイトになり
鉄道高校の衆が
実習を終えて現場に
アルバイト
としてやって来た夏休みには
まぁ
一通りの仕事は
覚えておりまして・・・
それが昭和55年05月02日の夜
から始まりました
小生の
鉄道人生でございます。
今年で30年。
その後昭和61年12月まで
6年間の「国鉄現場」と
4年間の「上野駅JR直営店舗取引業者」で
ちょうど十年。
←5/22、22時05分広小路口昨夜
上野駅を通りかかり
一枚。
最上の画像と
比較していただければ良いのですが
正面玄関左屋根にございました
「小会議室」
が撤去されておりました。
戦前新築された上野駅本屋に近い姿ではございますが
撤去された小会議室は
私達「学生臨雇」の仮眠室だったところです。
←この上に通路と小会議室がございました。子供の頃の夢を現実にする
と言う事は
実はなかなか出来ない事です。
抱えた夢が
そもそも
低いハードルのものだった
と
言えるのかも知れませんが
まさに地獄の国鉄末期に
まさに激動の上野駅に居て
多々体験できた事は
幸福であり不幸でした。
画像の広小路口二階レストランは
そもそもが
上野駅庶務室
だったところで
ここにお給料を頂に通ったものです。
ふと
そんな先輩や仲間達の顔が浮かんだ
22時05分
ちょいと涼しい晴れた晩春の上野駅でした。