好きな街は? ブログネタ:好きな街は? 参加中

 小生の色々な意味での原点が、

 小樽には詰まっております。

 あんなに熱くなったのも、

 あんなに人を信じたのも、

 あんなに人に裏切られて、

 あんなに居場所が無いと感じた・・・

 それでも、

 未だ・・・

 こんな奴を熱くし、

 こんな奴を信じて、

 こんな奴を待っている人が居る街。

 昭和56年7月に初めて小樽に行きまして、

ap2109 ←当時の小樽運河。手宮から稲穂方面を見たもの。

 運河から流れてくる腐臭に驚いたものですが、

ap2096 ←鉄道記念館のC623機。現在の総合博物館手宮エリア。

 この一両の鉄塊が、

ap2050 ←偶然居合わせた築港機関区の皆様。

 日本最大最速最美の走将となり得る事を教えて貰った瞬間から、

 小生の人生は大きく変わりました。

ap2131 ←昭和62年03月31日23時59分。小樽運転区にて。

 気の遠くなるような夢と思っていたこの蒸気機関車の復活。

 その奇跡が現実となった瞬間に立ち会った小生は、

 それ以降、

 この男達の夢と誇りと祈りの結晶を護り抜くものと決意して、

 陰に徹する事を選択しました。

 多くの人には、

「未だシロクニから卒業出来無いのかよ。」

 と言われます。

 いや、

 卒業出来無いのです。

 各々納得或は反論の出来無い理由が重なって、

 この事業は破綻し、

 国鉄分割民営化以降に復活した蒸気機関車で唯一、

 動きを止めた蒸気機関車となってしまいました。

 そして幾度か再復活の構想が持ち上がり、

 まるで亡霊に気付いて慄く如く立ち消えて行くのです。

 その間、

 小生は関係者などを差し置いて偉そうにこの蒸気機関車を語り、

 この蒸気機関車の再復活を考えて参りました。

 小生を追い出した諸々に恨みを抱えたのは自然です。

 しかし、

 何のためにこの再復活をすべきか。

 それを真剣に考えて二十年。

「人の笑顔のために。」

 そう気付いた時、

 恨む事への時間やエネルギーすらもったいないものに感じられました。

 そして、

 脆弱で未熟な組織の為に夢半ばにして挫折した、

 しかし日本で唯一実現した市民主導・民間企業出資・鉄道事業者運行と言う理想的

社会文化運動型交通文化財保存活用

 の完成を

 やはり小生と我が同志達で具現化する事が、

 小生の出世の本懐。

 今では多少浮ついておりますが、

 この気性は粗いが熱い人たちが多く住む街に、

 一つでも多くの自然な笑顔が咲き、

 それが続いて行く仕組みとそのニオイを、

本物

 にしないと死んでも死に切れません。

 ですから、

 最後に戻るべき駅は小樽。

 まだちょっと先になるのかも知れませんが、

 全くの夢幻でも、

 なさそうなのでね・・・・