「あの時頑張っておけばよかったな」と今、思うこと ブログネタ:「あの時頑張っておけばよかったな」と今、思うこと 参加中

小生はどうもステージの真ん中で、

 テレビカメラの回り、カメラのストロボに照らされて、

 なんてぇのが苦手にごぜぃやす。

 明治11(1878)年05月14日、東京府紀尾井坂大久保利通が暗殺された時、

 その懐中には西郷隆盛から送られた手紙があったと、

 高島鞆之助昭光(陸軍大佐・当時)が証言しているとか・・・

 その内容は、欧州視察時に撮影した自分の写真を西郷に郵送した返答で、

「オメェさん、良い男たぁ言えたモンじゃ無し、後世に不男のツラなんざぁ遺すなよ、オイラにゃ写真なぞ不要ねぇぜ・・・」

 と(趣旨)書いてあったとか・・・・

 終生、肖像を残さなかった西郷隆盛は、自分を

「島津家家臣で御庭番」

 つまり、一人の島津藩情報担当者でしか無いと据え置く事で、

 既に尽くすべき主君の無い時代に「我の分」を弁え様とした様でござんすねぇ。

 基本的に諜報工作に関わる人間は、

 自分の真実の姿や形は残さないってのが古今東西常識でしてね・・・

 これと近似した気持ちがございます。

 さて・・・

 マツリゴトの世界は別として、

 蒸気機関車復元なんてぇお話は、

 上手く走ったものを除けば、

 関係者だって知ら無ぇうちに進められて、

 その大部分は世間様に知られる前に消えてしまいます。

 どうもこの国の人々は、

 華々しい「成功」にばかり眼を奪われっちまって、

 実は重要な「失敗と言う財産」に、

 どうも気付か無ぇんですよ。

 色々と差しさわりが今もあり、

 それもかなり大きい問題もございますってんで、

 今まで小生が関わったそれらの蒸機や鉄道企画のうち、

 それこそ周囲の側近以外に話して聞かせたものなんざぁ、

 ほんの二つか三つですわ。

 で・・・

 偉そうに「日本唯一の蒸気機関車コーディネーター」なんて言いやがって・・・

 なんてショポショボ言われてるのが悔しい、

 とか後輩に愚痴られたんでねぇ、

 まぁ一発バラしちまうと・・・

 小生の今までは、自称は「復活運行コーディネーター」ですがね・・・

 やって来た事は「復活無謀計画消滅工作屋」でございます。

 資金裏付けや支援・実施体制の整備、

 関係沿線住民への理解周知活動、

 実働要員の選出と結束、その社会的位置付け・・・

 つまり、

の時、地の利、人の和

 これらがきちっと構築され切られるかどうか・・・

 これを見極めて御指南申し上げるのが、小生の役割にございます。

 で、ダメなら・・・

 ささっと・・・

 ね・・・

 もう時効っちゃ時効ですがねぇ・・・

 とある町役場の方からお電話を頂きましてねぇ・・・

「蒸気機関車の復元構想を持っていますが、御意見を・・・」

 こんな切り口で接触されるんですよ、ほぼ全部の件で・・・

 そしてその方が・・・まぁ大抵は数人でお出でになられるか、小生が現地に行くか・・・

 こう言っちまったら何ですが、

こっち来い

 と言われて出掛ける様な企画は大抵が杜撰でしてね、

 成功した試しが無い。

 一応、意見を呉れい、ってんだから、出て来るのが筋ですわ。

 で・・・

 面会して取り敢えずは構想を伺うんですなぁ。

「何線の何駅から・・・蒸気機関車を走らせようと言う夢なんです。」

 ほぼ全員の方がこの台詞を口にされます。

「蒸気機関車が走れば、この地域の活性化は爆発的に進みます!!!」

 これも大半の方から伺うもの。

 問題はこの先でして・・・

区間はこの構想に参画する市町村の中だけにしたい・・・」

「では・・・東京などからの御客様は何処から・・・」

「新幹線でここまで、ここから始発駅まで定期列車で・・・」

「乗換ですか?」

 このやりとりも実に多い。

 つまり、県などの助成金の関係から無関係な街にオレ達が銭を出したモノ(蒸気機関車列車)を行かせてたまるか!

 と言う心理なんですなぁ。

「そのプランですと、遠距離の御客様は乗るまでに日が暮れてしまいますよ。」

「いやいや、蒸気機関車なんて言えば、沿線に沢山人が来るじゃ無いですか・・・」

 どうも、鉄道マニアと誘致旅客がごっちゃになってるんですわ

 で、実数的なものや蒸気機関車運行に必要な設備や法制を解説した上で、

「後々にしこりとなる様な企画は・・・やはりお辞めになった方が宜しいと・・・」

 と、やんわり断念を御提言申し上げております。

 ここで大抵、怒りますなぁ・・・

「何だよアンタ、協力してくれないのかよ。」

「いやいや、問題は具現化出来るかどうかです。夢のお話では無くて現実とする事のお話をさせて頂いております。」

 ここでその構想に対する概算を出します。

 そして必ず絶句します。

「こんなに掛かるの?」

「これは過去の複数企画から出した標準的費用です。」

「もうちょっと、何とかならない・・・」

 と妥協を求めて来るものは実現性があります。

 中には、

「ウチの選挙区から出ている国会議員に話をするから・・・」

「運輸族の顔役さんですか?それとも与党の大物さん?ごり押しすればその先生、次期は無いですね・・・」

 今や日本に存在する普通鉄道は殆ど民営企業ですから、無理なプランを実現化するにはそれなりの銭が・・・

 そんな中で、もうちょっと粘れば良かったと後悔しているものがございます。

ap2100 ←88.04.29、倶知安駅で入換中のC623機

 日本最大の蒸気機関車C623機を奥羽本線に運行しよう!

 と言う秋田県南部のとある街の構想でした。

 新庄~大曲間運転で土日を中心として年間100日程度。

 第一の問題は最小通過半径が302メートル以上となっていたC62形式が何より「この構想の中核」だったんですね。

 奥羽本線は最小半径302メートル以下の箇所なんかゴロゴロありましてね、

 更に145.88トンがレールを引っ叩きながら疾走するんですから、

 鉄橋も盛り土も、それに耐えられるだけの強さが必要だったんです。

 で・・・

 一応の基本案に対して、面会の翌日に該当区間を実地で見学しまして・・・

 東日本会社の内々の回答は、

半径拡張橋梁・築堤強度の保全は前向き」

 と言うものでしたが・・・

「機関車の復元は土崎工場(秋田県)で。」

 が条件・・・

ストーカーが問題ですよ・・・」

 最初にお話をした時に開口一発そう小生は申し上げまして・・・

 やっぱり・・・

自動給炭器ストーカー)は弊社にて修繕厳しく、コンクリートで埋める。」

 と回答されたとか・・・

「それは現実に・・・雄勝峠(秋田・山形県境の峠)を超えるのにストーカー無しなんて、ドライバー(機関士)の身が持ちませんよ・・・」

 とお答えしたのですが・・・

 北海道会社からは、

「あくまで現状にて貸与するもので、ストーカー部分埋め込みなど言語道断。」

 と・・・

 まぁ当たり前ですね。

 担当者さん、

「それでもC623で無いと・・・」

 と・・・

 ここで小生は諦めたんですね。

G04 ←99.08.01、品川駅。動くけれども、これは本線運転不可。

 何せ資金は地元市町村と県の出資、ストーカー修理だけで一体どれだけの費用が掛かるのか・・・

 その費用で道路や公有施設の改善がどれだけ進展するか・・・

 更に、実は多くの企画の場合、

蒸気機関車の運転

 が大きな旅客誘引の価値であって、

日本最大最速最美の蒸気機関車・C623機

 でなければならない理由はそんなに大きく無いのですね・・・

 それは「C623」に価値が無いと言う事では無くて、

 それら観光誘引素材にとってプラスとなるのは、

容易に惹起出来る物語性

 なんですなぁ。

 例えば・・・

 昨年だかの実績で本丸御殿修復が完了した熊本城

 何と220万人の御来訪を記録し、基金参加も18000人を超えたとか・・・

 これは、地元の方は無論ですが・・・

熊本城

 の歴史的位置付けが誘引効果に大きく寄与しているのですね。

 大友・龍造寺・島津と戦国九州動乱期の舞台に幾度もなり、

 加藤清正佐々成政細川忠利(細川藤孝の孫)と戦国時代の名将を主として、

 維新には神風連の乱西南戦争の舞台ともなった・・・

 それらの「時代横断的」な幅が、熊本県民のみならず全国区レベルでの知名度を創出しているんですよ。

 例えばこれが常磐線(C62最後の特急牽引路線)や東海道・山陽・呉線(C62運行経験路線)、函館本線(C62重連運転路線)ならば、

「再びこの道に!」

 ってなコピーと共に「蘇る昭和レトロ」なんてね、イメージが膨らませられる「歴史的位置付け」が出来る。

 実はそれ以外となれば、

日本最大最速最美の蒸気機関車

 ってな機関車固有の特性が目立っちまって、運転区間なんぞ陰に隠れちまうんです。

 なので・・・

 その地域や路線の経緯や使われていた機関車・・・

 そんなものに適合した機材選定が、

 実は大きな要素なんですよ・・・

 が・・・

 幾人もの関係者が、

「あのシロクニが!!!!」

 と熱っぽく語ってたんでね、

「別の機材は如何???」

 なんて言えなかったんですね。

 結果、2月に現地に呼び出されて3度現地へ調べに入り・・・

 その秋には、

「断念に至り・・・」

 と封書が届きまして・・・

 もう少し粘れば・・・

 奥羽本線蒸気機関車運行と・・・

 連動しての近隣路線での運行・・・

 実現していたでしょうねぇ・・・

 珍しく、予算的裏付けが明確でしたし・・・

 それに・・・

 ストーカー問題の解決方法がこの当時は無くは無かったもので・・・・

 ただ・・・

 まぁ皆様ぶっ飛ぶぐれぇの銭を投下して、

 無理と無茶を重ねて実現したとして、

 夢に描くだけの「結果」が得られていたかどうかは甚だ疑問だわネェ。

 それはこの地元や地域の問題と言うよりも、

「肝心の客車が無い」

 ってな事と、

「国家レベルでの地域観光戦略の方向性」

 が当時、変革期でして・・・

 実現化しても・・・

 ハードばかりでソフトが無い・・・

 ってな事で、旅客誘致に充分結実されないまま・・・

 自治体の財政を逼迫し・・・

 更に金融危機が明確化していた頃で・・・

 遂には数年で途絶・・・

 その危険がございましたからねぇ・・・

☆☆☆交通文化連盟からのお願い☆☆☆

 現在、特定非営利活動法人交通文化連盟では、この年末にも登場する流鉄新編成の塗装を従来の「白線+N文字」デザインでは無く、車体裾部を白山形だんだらとする「新選組隊士羽織調」にしていただく御賛同署名を集めております。
 幕末期に於いて新選組・近藤勇と土方歳三のゆかりと土地でもあります松戸市と流山市の地域観光活性化と、連動した流鉄利用促進策の具現化のために、皆様の御理解と御協力をお願い申し上げます。
 なお、署名は流山新選組本陣(荒天雨天を除く日祝日午後)とレールフェステ会場で行っております他、今後は近隣駅や電子メールでも行う予定です。
 また、この署名活動に御協力頂ける団体や組織、及びボランティアを募集しております。
 詳しくはプチメールにて安房守義将宛にお送り下さいませ。

(主管部局 文化局交通文化部/監理 事務局内務部)

☆☆☆よろしくお願い申し上げます☆☆☆