何時が好き? ブログネタ:何時が好き? 参加中


 小生の中で一日の区切りとなる時刻がございます。


 それが14時48分でございます。


 昭和47年3月14日改正から、昭和57年11月14日まで、


 上野~青森間常磐線経由・対北海道継送チャンネル指定便として活躍した、「みちのく」。


 真昼間と言うのに、


 寝台電車583系を使って、


 威風堂々13両で疾走する姿は、


 まぁ色彩多々な常磐線を行き来する列車の中でも、


 目立っておりました。


11M我孫子 ←「みちのく」第12M列車。我孫子にて。

 小学生の頃、

 トレインクラブ(小生が所属しておりました鉄道ファンサークル)での活動が無い時には、

 西新井の自宅から徒歩で荒川の土手に回り、

 国鉄常磐線の荒川橋梁に掛かる踏切を眺めて、

 まぁ一日過ごしたものです。

 この頃から、この「14時48分」にこだわる様になりまして・・・

 昭和25年に全国の急行列車に愛称が制定された時に登場した、

 北行列車の名門ですが、

 昭和33年に東北最初の特急として設定された「はつかり」(常磐線経由)は、

 ズバリ、この「みちのく」のスジ。

 昭和43年ダイヤ改正で「はつかり」が東北本線経由に変わる時に、

「設定臨時便」

 として残った「常磐はつかり」が

 定期列車となったものでございます。

 多くの方が勘違いされていますが・・・

 その路線で「第1列車」と言えば、

 名門中の名門、看板・・・

 実はそうではございません。

 昭和5年に超特急「つばめ」が登場した際、

1列車を超えた1列車

 として、「超特急」にのみゆるされた「第11・12列車

 その後西口(東京駅発関西・九州方面)が発車順符号となったのに対して、

 その伝統が生き残った稀有な便だったのです。

 登場から廃止まで、583系13両食堂車付の編成と、

上野発14時48分

 を守り抜いた頑固さ。

 その最終便を上野駅地平第三ホーム放送室で泣いて「鳴いた」小生にとっては、

 この列車は国鉄への憧れ、

 北海道への憧れ、

 そんなモンでした。

 ちなみに・・・

 この「11M」に接続した青函連絡船は「11便」、更に「11D」特急「北海」と続きまして、

 これも最後まで「1M」を貫いた「はつかり最速便」の補完列車として、

 明治から続く「北海道継送チャンネル便」の誇りを守り抜いたもの・・・

 新幹線網が伸びて、

 日本の時間地図が段々と小さくなって参りましたが、

 ステイタスとなる列車が無くなった事は、

 寂しいと言うよりも「鉄道屋」の誇りが消滅したとも受け取れる哀しい時代と、

 小生は一人で味わう昨今にございます。