ブログネタ:年末にタダで旅行に行けるなら どこにいく?
参加中 年末に旅行だなんて・・・
新幹線網が整備され、航空機便数が飛躍的に増加した今日では、特に意識しないくらいのものですが・・・
昭和60年3月にB幹線(東北新幹線)が上野駅に乗り入れを果たすまでは、
「盆・暮れ・正月・ゴールデンウィーク」
は、
「民族大移動」
だったんですね・・・
ですから、今も年末に旅に出ようなんて考えもしませんが・・・
年末にロハ(タダ)で旅行にご招待されたとするなら、今の小生は
「五能線深浦駅」
へ行きたいですね。
一度、真夏に乗った事がございます五能線・・・
奥羽本線東能代から日本海に沿って川部までのローカル線ですが、
鉄道における花鳥風月・・・海川山崖が揃って、また方向としても夕陽が綺麗なんですね。
そこに、
真冬の今だからこそ・・・
さて、国鉄上野駅に於ける「決戦」シーズンは、
1・年末
2・ゴールデンウィーク
3・盂蘭盆
4・年始
の順で乱戦度がございます。
ゴールデンが2番なのは、短い期間に多くの「行楽客」が集中される為で、
お盆が比較的分散化されていた・・・ってな事に裏付けされた「大変度」なんですね。
が・・・
年末は・・・
年に一度、正月は実家で・・・
と言う方々が、ですよ。
お土産を沢山抱えて防寒の為に厚着して、
これで夜行列車を待つまでの間に一杯も二杯も引っ掛けて・・・
それが年末の三日間程度に集中しますから、大変なものです。
昭和57か58年の年末です。
小生は上野駅案内所に勤務してございました。
夜半の22時くらいになると、一人のだいぶお年を召されたホームレスさんがフラフラと中央改札口に現れます。
で・・・
23時前にはまた何処かに消えて行かれるのです。
そんな事がひと月ほどございました。
年末の31日。
終夜運転の為に駅は一晩中開いております。
で、31日の夜半になりますと列車の混雑もかなり緩和されて・・・
まぁ「正月は実家で」と言う場合、大抵31日にはその「実家」に到着されているものですからねぇ・・・
大鉄傘の下を行く人もまばらで・・・
一方の不忍口は乱戦の真最中でして・・・
アメ横からそのまま流れ込む御客様を階段規制までして・・・
それも22時には静かになります。
と・・・
かのホームレスさんがやってまいりました。
凝視する暇なんて無かったので、それまでは気付かなかったのですが・・・
彼は22時41分発急行第405列車「津軽3号」を見送りに来ていたのに気付きました。
先輩職員に報告すると
「まぁ毎年一人や二人は居るんだよ・・・帰りたいけれど帰れないてっな。」
そばに来ていた鉄道公安室の先輩も、
「そうねぇ、この時期は観掛けるねぇ・・・まぁ奥羽線沿いに自宅があるんだろうなぁ。」
次回の勤務だった1月3日の夜も、彼は中央改札口にやって来て「津軽3号」の案内板が下ろされると、また何処かへ消えて行ったのです。
小生がこの方を拝見したのはそれが最後でした。
聞くと数日後の早朝、広小路口で遺体となって発見されたそうです。
死因は凍死、としか伺っておりません。
今日では新幹線は東京集中発着になりまして、そんな上野駅の風景もかなり変わりました。
でも、そんな悲喜こもごもな、まさに「人間の情」を汽車が運んでいた時代に染み込んだ「人の思い」。
そんな「人の思い」を乗せ続けて行って欲しいと思うのは小生だけでしょうかねぇ。
更に夜汽車が無くなるとか。
時代の流れと言うよりは、旅客需要の開拓をしなかった為の結果ですわな。
まぁそんな愚痴もあの駅に立つと無意味ですね。
出入りする列車は変わっても、
その「人の思い」はずーっと変わりませんからねぇ。

