0系新幹線電車が引退しました。
高度経済成長と、鉄道新時代の象徴でした。
昭和39年に落成した0系A編成は、蒸気機関車に牽引されて運ばれたとか。
平成二十年十一月三十日日曜日。
14時51分岡山発659A列車「こだま659」号(0系2000番台6両)は、18時21分博多駅に・・・
この編成は昭和55年以降に製造されたものではございますが、そのデザインは実に44年以上不変だったんですね。
国鉄鉄道技術研究所に於いてデザインを担当されていたのが、元海軍技術将校だった三木忠直氏です。
100歳近くまで、まさに長寿にて天寿をまっとうされて御逝去されましたが、長距離爆撃機「月光」のデザインも三木氏を主幹したチームのものでございます。
新幹線と言う「固有名詞」は昭和17年に現れ、俗に「弾丸列車」と言われます「東海道・山陽本線別線増線計画」、この書類に「新幹線」と言う表記が既に使われ、静岡県には「新幹線」と言う地名が昭和39年以前からございます。
この「弾丸列車新幹線」は東京~大阪間の約半分の用地取得と、新丹那トンネルの着工を見て戦況悪化の為に事業は中止されてしまいまして、昭和34年「東海道新幹線」建設「再開」まで休眠するものでございます。
東海道新幹線は世界に誇る日本の「ものづくり精神」の結晶です。
その実現の根底には、明治新政府の窮乏した財政状況と技術に疎いまま、高官になっちまった士族達の悲劇がございます。
百五十年を経て、その無策はこの国の繁栄の足枷になったのは事実です。
しかし、一方で軌間1435ミリの国際標準軌よりも狭い、格下規格でありながら列車本数・旅客輸送量共に世界最過密、この泥中より蓮の華が開花するが如く花開いたのが、「新幹線」です。
無論、当時の国鉄総裁・十河信二氏と、国鉄技術の祖である島安次郎博士の御嫡男・島秀雄氏が技師長であった事や、フロー寸前の東海道本線の輸送力、工業立国として復興を展開して来て充実して来ていた「基礎技術」、また国鉄技研による運転台信号・電算機制御システム・車両振動抑制の技術開発と、プレストレストコンクリートの実現による耐衝撃性軌道の実現・・・
挙げればキリがございません。
この中で、三木氏が貫いたインダストリアルデザイン哲学・・・
それは、この「0系」デザインが結果として44年営業用現用機材で使われ続けていた事で、正統たる事を物語っております。
三木氏の理論の理想は「高速旅客用鉄道車両は連接式とすべし。」
まぁ鉄道車両で旅客用のものの多くは、長細い箱の下に車輪2つをセットとした「台車」を二つ「乗せた」ってぇモンになります。
これを箱と箱の間に台車を組み入れて、軌道に掛かる衝撃と車体の衝撃を緩和しようってなモンです。
実際、三木氏の構想を買った小田原急行電鉄は、「SE車」として新幹線開業前にそれを具現化し、近年まで活躍しておりましたし、フランス高速列車「TGV」もこの連接車方式です。
ですが保守点検にとても手間が掛かり、また事故と相成りました時には復旧に従前方式より倍以上の時間も掛かるってな事で「新幹線」には採用されませんでした・・・
まぁ・・・今年、総武線に試作導入された東日本旅客鉄道の通勤電車、何故か連接車になっちまったんですが・・・
三木氏のもう一つのデザイン哲学。
「格好良いモノを作る。それは長く評価され、合理的なものとなるからである。」
工学的見地どうたらでは無く、部下に
「もっとカッコの良いモンで無いとダメだ!」
と厳しく怒鳴られたとか。
東海道新幹線の列車番号は「A」。
スイングジャズの大御所、デューク・エリントン楽団のテーマソングとしても名高いものですが、本来の意味は「下り列車」ってな意味なんだそうです。
このアルファベットの頭書文字「A」。
そして機材類別記号の「0系」
詳しく申しますと、先頭車は11・12・21・22と二桁で「×1・×2」。
食堂車は26、と「×6」
10・20・30と言う数字が、「クモハ」「モハ」「モロ」「モハシ」等の標準的車両のカタカナ記号と類別番号を併せて表記されたところが斬新ですが、それらがまとめられて「0系」と言われたんですね。
この数字の最初「0」
鉄道では「0」は「何も無い」ってな意味ではなく、「スタート」ってな意味合いのほうが強いんですね。
この「A列車」と「0系電車」に、新幹線を作った無数の人達の思いや祈り、そして誇りを小生は強く感じます。
対して、「0系」のはるか後に登場した「100系」はほぼ全滅し、それは先輩の「0系」より早く・・・
この後継たる「初代のぞみ」の「300系」も、今日では「こだま専用」で間も無く全廃です。
昨今では、何だかアヒルが二日酔いした様な顔つきの「700系」「N700系」なんて騒いでおりますが、こりゃ44年どころか20年と持ちますまい。
格好の良いもの。
それは見た者の心を躍らせて、容易にイメージが想起される、と言う意味なんでしょうね、三木理論ですと。
戦争に関わり、人殺しの片棒を担いだ反省から、戦争の対極にある平和産業に関わりたかった。
人間ミサイル「桜花」の主任設計者・三木氏ならではの哲学の根底は、まさに「生死」なんですね。
三木氏に留まらず、戦後日本に立ってものづくりをして来た人達・・・いや、神々の哲学の根底には、「生命の尊厳を覚知せざるを得なかった」環境と、「戦争と言う無意味な生命奪取」への嫌悪がございます。
そんな神々が作ったモノは、何故か暖かい、温もりを感じるんです。
その創造者たちの後継者の皆様・・・
あなたが作るモノ、その図面の中に、笑顔の子供達の姿と声は聞こえますかぇ?