小生、子供の頃から「人」には恵まれておりました。


 その最たるものが、師匠と同志でございます。


 人生の師匠。


 蒸気機関車の師匠。


 物書きの師匠。


 表現の師匠。


 恋愛の師匠に、スケベの師匠・・・


 同志には先輩も後輩も入りますが、


 人生の同志。


 蒸気機関車の同志。


 哲学の同志。


 趣味で出会った夢を形にする同志に、


 子供達に情熱を伝える同志・・・


 そんな一騎当千・・・否、万にも匹敵するツワモノや猛者が小生を磨いてくれております。


 12歳の頃です。


 鉄道サークルの先輩達と上野駅に列車の写真を撮りに行きまして、車で送ってもらったんですね。


 その時、もう帰りましょってな時間だったんですが、上野駅北側にあります両大師橋の上で、先輩が


「おい、あの夜行・・・よく見てみな。窓に人の影が見えるだろう・・・」


 東北へ向かう夜汽車が走って参ります。


「あの窓の、乗客の一人一人に、色々な思いがあるんだ。」


「思いですか?」


「楽しい旅の人ばかりじゃ無い、悲しい旅の人もいる。出会いも別れも、喜びも悲しみも、あの窓の中に見える一人一人、色々な人生をもって、旅をして行くんだ。」


 小学生の小生には無論、深意は判りません。


「その色々な人生を乗せて、明日の朝には青森・・・でもそれで終わりじゃない。鉄道は列車が単に走っているってモンじゃ無い、人間を・・・人生を動かしているんだ。だから俺達は魅力を感じるんだ。」


 テールランプが消えて参ります。


「お前も何時か、ここでそんな説教を後輩にするんだろうなぁ・・・俺達もそうだったモンなぁ」


 山手線や京浜東北線、常磐線、高崎線、東北本線・・・多種多様な列車が出入りします。


「あの窓には、人生が詰まっているんだ。」


 小生の鉄道屋精神は、このファンサークルの先輩によって作られた・・・いやいや、この一言から出発したと言っても過言ではございません。


ap2025 ←日中線熱塩駅第622列車。


 昭和55年5月2日15時頃、国鉄上野駅に初めてアルバイトとして入った初日の上野駅会議室での事です。


 当時の改札助役さんが心構えを教えてくれました。


「学生と言っても御客様から見たら、国鉄職員なんだ。我々は制帽と制服の襟に3つの動輪を掲げているんだが・・・これは御客様の身体・生命・時間に関する約束を守りますよと言う誓いでもある。だから仕事中は制服と制帽の3つの動輪を下げてはいけない。」


 時間通りってぇだけで無く、生命・身体・・・そんなところまで高校生に考えなど及びませんでした。


 小生は父親とは通算して1年、母親とも通算して5年一緒に暮らしておりません。


 しかし、離婚していたにも関わらず、両親の親戚達はいゃまぁもう過保護ってぇ位に可愛がってくれました。


 寂しさは感じました。


 しかし不幸とは思いませんでした。


 時にそんな不幸ってなモンに浸って自分を美化して悦に入ってみたい瞬間もございましたが、このサークルの仲間・・・いや同志達は小生とは比較にもならない程にかなり厳しい環境だったんですね。


 それが、小生以上に明るいわ、勉強は出来るわ、頭は切れるわ・・・


 いや、適いませんでした。(小生を除いて国立大学卒業ですもの・・・)


 小生が彼らに負けないものを一つでも得よう、そう思った時、


「頑固な信念」


 と、まぁ単純に思ったんですね。


 そのサークルが解散して、トレインクラブの「看板」の後継を指名されたのが小生でして・・・


 一番気が弱くて、勉強も出来ないし、苦労もしていない。


 全く、恥ずかしいものでしたが、仲間達は歓迎してくれました。


 以来、30年。


 殆ど交流はございません。


 一時、冷たいヤツ等だな、と思っておりましたが、偶然合った先輩から、


「ヤツ等、お前に気兼ねしているんだぜ・・・昔の仲間がひょろひょろ出て行くと、お前の事だから遠慮しちまうだろ?もう立派な指揮官なんだしな、そんなヤリ辛くなる様なことをしないって同盟しているんだってさ。」


 家で密かに、感謝の涙を流しました。


 普段からツルンで歩くってぇのは、友情やら友人やらの姿では無いんですね。


 この不出来野郎が、立派な変態になったのも、そんな尊敬すべき人間がまさに回りを囲んで、護って支えてくれたからこそ、なのです。


 組織としての活動は既に殆どございません。


 しかし、先輩達がサークルを旗揚げしていた期間の9年を3倍も過ぎました。


 当時の同期・仲間で高校中退ってぇのも小生一人。


 しかし、鉄道現場の水を飲んだのも、やはり小生一人にございます。


 全く会っていないのに、小樽でC623機が復活した時には、池袋で始発電車まで飲んだとも・・・


 この同志達の誇りも、この「日本トレインクラブ」の看板には織り込んでございます。


 そして、炎天下の後志で、吹雪の会津で、駆け回ってくれた仲間達の武威は、「北海道鉄道研究会」の看板にやはり織り込んでございます。


 単に鉄道が好きなどと言う理由だけで、30年も縁の下の黒子をロハでやるってぇのは、常識的にも無理です。


 小生は、その得がたい師匠・同志を多く得ております。


 その思いが、その心が、小生の生きている理由でもあり、原動力でもございます。


 それに、こんなに沢山のオヤジやアニキ・・・


 そして可愛い子供達に囲まれて、不幸ってな事は無いですわな。


 それに加えてこの我侭マイペースの変態でございます。


 真面目に、怖いものが無くなって参りましてネェ・・・


 だからって、喧嘩仕掛けて歩く事も無いんですが・・・


 どうも変じて武闘派、全く始末が悪いモンです。