大河ドラマも年末を迎えて佳境に入ってまいりましたねぇ。


 今回は特に薩摩に脚光が当てられ、その中でも小松帯刀さんが大きく出て参りまして、小生個人も大変嬉しい次第でございます。


 再来年の坂本直柔クンのものでは、ぜひとも後藤象二郎元曄クンにも・・・


 さて、こんな風に書いておりますが、お気付きの方は流石っ!と合いの手一つ入れたくなります。


 このブログでは極力「姓+諱」で表記する様にしております。


 一般的なものは別として、現在の個人特定の際に使われる「名前」が、「姓+諱」を基本としておりますから、これに従っているだけでございます。


 何故かと言えば、この維新以前の名前の仕組みが現行のものと違うのに、多くの方が


「ああ、坂本さんチの竜馬君ね。」


 と認識してしまうからに他なりません。


 いやいや、本当なら


「それって、坂本さんチの直柔(なおしげ?)クンね、竜馬とも言うけれど・・・・」


 ってなモンが正解です。


 このテーマの直前記事では、しきたりとして「姓+通称」が用いられたってな風体にかいておりますが、ちょいと勉強進めておりますと、それは・・・・


「徳川期、下級武士が遠慮してそうしていたもの」


 と書き加えなければならない様子が多々見つかりまして・・・・


 さて、今回は「姓」でございます。


 この通称が発達・定着する事と大きく関係がございますが・・・


 時は飛鳥の頃あたりから、この「姓」が大きな影響を及ぼして参ります。


 土地を貰ったある一族、仮に藤原さんとしましょう。


 この一族、親戚兄弟たくさんいるんですね。


 で、このうちの一つが加賀の国に領地を貰った・・・として・・・


「ところで、アニキ達のところで子供が生まれたんだって・・・」


「そう、それじゃあお祝いのプレゼントなんか考えなきゃねぇ・・・名前は?」


「長男で太郎って・・・」


「太郎ってウチにもいるじゃん。」


 これが本家だと更にややこしい。


「今度、あっちの当主が代わりまして・・・」


「へぇ、それで?」


「藤原太郎になりまして・・・」


「あれ?アンタも太郎さんだよねぇ????」


 なんてね。


 で、加賀の藤原さんってな事で「加藤」さん、伊豆の一族は「伊藤」さん、武蔵の一族は「武藤」さんに・・・


「今度、ウチのオヤジが左馬助の官職貰ったんだよ。」


「そりゃおめでとう!」


「でね、これを記念して左藤に・・・」


 ってな具合で増加して行くのですわ・・・


 源・平・橘はもう少し面倒です。


「今度、俺っち相模に領地貰ってさぁ・・・」


「そりゃ大変だねぇ、何処よ?」


「相模の毛利ってなところなんだわ、で・・・行って来るわ。」


 ってな具合で・・・この「毛利」さんの子孫が安芸に領地を得て移ったりして・・・


 毛利元就さんのところがこれでございます。


 元々が「長門」の人、と思われている様ですが・・・


 これとは別に・・・この元就の次男に吉川元春と言うやんちゃがおりまして・・・


 領地拡大と安定化の為に吉川家に養子に出すんですが・・・


 この方、「きっかわ」さんなんですね。


 で、当時はこの「よみ」が大事で、表記する文字は二の次ってな感覚があった様子にございます。


 全部では無いものの、「菊川」さんが「吉川」に通じるものがございますとか。


 なんで、「吉川」が「きっかわ」ならば御先祖は西の方、「よしかわ」なら東の方・・・


 そんな事らしく・・・


 さて、「吉川=よしかわ」さんも「芳川」「好川」など、ここで色々「書かれて」しまうんですね。


 「山本」さんと「山元」さん、「吉野」さんと「芳野」さん、これも同様。


 こんな具合ですから、30万種にもなろうモンでございますわなぁ。