ブログネタ:秋の夜長に聴きたい曲は?
参加中友の憂いに我は泣き 我が喜びに友は舞う 人生意気に感ずれば 何をか惜しまん我が生命
ある先輩が揮毫してくれた言葉でございます。
秋の夜長に聞きたい曲・・・
ベートーベン作曲、交響曲第9番。
まぁ「合唱」とニックネームが付いておりますが・・・
年末の定番でございますが、にりゃ日本だけの風習だそうでございます。
聞けば・・・
当初、第4楽章で完成していたこの曲に、シラーの詩「歓喜に寄す」に感激したベートーベンが、後半クライマックス部分を切り落として追加したとか・・・
なので、正式にはこの第4楽章後半の合唱は、
「第5楽章」
では無くて、
「第4楽章後半」
で正しいんだそうでございます。
由緒正しく忠実なシーデーなどでも、合唱部分は第4楽章とセット。
譜面でもそうなってはおりますが・・・
で・・・
一度、この合唱部分の指揮棒を振った経験がございます。
練習しようとしましたら、第4楽章から聞く事になっちまうんですね。
友よ! その様な調べでは無い!
シラーの詩のそんな書き出しから始まる合唱でございますが、シラーのメッセージとベートーベンのメッセージには勿論、色々と違いもございましょうけれど・・・・
結果として、
「民衆の歓喜こそ大事」
と繰り返し訴え掛けているんでしょうねぇ。
まぁ、小生はそう解釈しております。
憂いあり友の悲しみ槍として 貫く我が義の 愚こそ誉れや
時に正義と言う言葉ほど、曖昧なモンはございません。
爆弾抱えて無実の人間多くを殺戮するテロリストと言う名のキチガイも、ですよ、自分が信じる「正義」ってぇ裏付けに自己犠牲をしている訳でございます。
時に誤射して、全く無実の庶民を虐殺する米軍も、ですよ、「国際秩序を守る正義」ってぇ理論に基づいて行動していたりする訳でございます。
つまり、「正義」と言う言葉ほど便利で危険なモンは無いんですね。
で、この「正義」が「正義」と評価されるかどうか。
その秤について、小生は「民衆の笑顔」にあるものと考えております。
為政者の享楽のための「正義」。
役人の安楽のための「正義」。
資産家の保身のための「正義」。
見方を変えたら単なる我侭じゃねぇかぇ?と言えるモンは正義とは言われ無いじゃ無ぇかってモンです。
なんで、小生は「義」と申しまして、ちょいと小心者なところを露呈しているのでございます。