<立花道雪>
永正10年3月17日(1513年4月22日)~天正13年9月11日(1585年11月2日)
豊後国大友家家臣で、元々は戸次孫次郎鑑連と名乗っていたが、大友家系の立花家を継いで立花と改称、同時に立花山城城主。
若い頃に雷に撃たれて半身不随となったものの、輿にのって大友家が直面した多くの戦闘に参加し、大友家の全盛を構築した武闘派の主と言われている。
現在の研究では、この落雷は伝承・創作とされている。
大友義鑑宗麟から他家の子に家督を継がせろと命令されるも、自分の娘を「嫡男」としてこれを拒否、後に養子に高橋招運の嫡男、統虎を婿として家督を継承させた。
この子が後に「花も実もある名将」として、本多忠勝と共に秀吉が賞賛した、立花宗茂である。
毎年、北総新選組(特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊第三業務隊)の恒例となっている「流山本陣地区催事支援」の締め括りとなる、盆踊り。
今年は8月30・31日の実施だったのでございますがね・・・皆様もご存知の「ゲリラ豪雨」ってなヤツに襲われて、まぁ散々でございました。
30日は昼過ぎに現場に到着しまして、まぁ降雨は無いのですが怪しい天気でございます。
テントは商店街の皆様が老骨に鞭打ち午前中に立ち上がっておりました。
例年は小生、焼きそば担当でございましたが、今年からはバックショップ専任で、仕度をしておりました。
夕方、にわかに空が掻き曇って参りまして、遠雷なんぞも聞こえて参ります。
17時30分過ぎになりますと、近々でも対地雷・・・つまり落雷が酷くなって参りました。
で・・・こんな時には風が強いものでございまして、焼きそばやフランクフルトなどの模擬店から
「風除けのブロックが欲しい」
とオーダーが・・
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現場の公園から道一本・・・そもそもはキッコーマン工場に延びる流山電鉄時代の貨物線跡地なんでございますが、これを挟んで自転車屋さんの富塚さん、ここが資材基地になっておりまして、ここへブロックを取りに行ったんですね。
と、豪雨が・・・
まぁ濡れて何ぼのバックショップ、ブロックを抱えて道を渡り、公園に入りますと、
「それ、何処に持って行くの?」
と、商店街の方に声を掛けられ、
「え?」
と振り向いた瞬間、
ズドーン
とかなり近くに落雷が・・・
小生の背後に感じた落雷、音が響いて参りました。
「市役所かな??」
見ると、豪雨の中に流山駅も、その先の飛地山の市役所も雨に煙るだけでございます。
で・・・
あれ?
準備をしていたウチの連中(連盟文化局)や商店街の皆様が小生のほうに
それも指まで指して・・・
「安房守の後ろで火花が立った」
「局長、大丈夫ですか?」
何があったの???
「今、直ぐ後ろに落雷したんですよ。」
「んな訳ゃあ無いだろ~市役所に・・・」
「いや、火花が・・・」
恐怖は更に・・・
19時30分、強い雨の為に盆踊りは中止となりました。
で、一応の手当てを致しまして、自転車屋さんの富塚さんで休憩する関係者。
「汽車が止まる前に帰ろう」
ってな事で、渡辺右近(足立区)と、中村警士(八潮市)が、伊豆守(川口市))と共に帰宅するものとなりまして、荷物を取りに閻魔堂に行くものと成りまして・・・
御店の裏手から一歩出ると、何故か流山街道が川に・・・
車が通る度に波が・・・
もう川と言うより海岸ですわ。
くるぶしまで水没しながら荷物を取りに往復・・・普段ならば6分程度なのですが、純粋に20分。
で・・・こんな時には絶対的信頼の流鉄電車でございます。
雪の日は雪を掻き分け・・・
雨の日に軌道が水没しても水を飛ばして・・・通常はレールにゃ信号用の電気が流れておりまして、レールが水に漬かると運転が出来なくなりますが・・・
流山電車にゃんなモン関係無ぇぜ!
震度4なら定刻運転。
そんな強烈な流鉄が遅延・運休などある訳も無く・・・
流山市北部や柏・我孫子市では床上浸水となった被害もありましたが、無事に全員脱出しました。
翌日はとても穏かに晴れて、それでも電車で現場に・・・
で、稲葉式部が落雷箇所を確認しますと、昨日の小生の立っていた場所から3メートル程度!
皆様三々五々集まって参りましたが、この頃から小生具合が悪くなりまして・・・
音楽が鳴り出した頃には頭痛が・・・
で、結果としてまたまた降雨が・・・
一応、撤去までお手伝いしまして、最終電車に飛び乗りまして帰宅しましたが・・・
どうも体が重いのです。
結果として、雷には撃たれなかったものの、雨には打たれて気管支炎でございまして・・・
数年ぶりにお医者に参りましたら
「お若く見えても、もう御年なんですよ。長生きする事も考えてくださいね。」
美人女医さんの微笑みは、柔らかく凄まじいモンでございました・・・
いや、下総の道雪と呼んで下さいましな・・・
