ブログネタ:恋人を呼ぶのは名前? あだ名? 敬称?
参加中呼べば直ぐ 返す言葉にゃ 色も無く 何よと一言 秋の夕暮れ
でも、これが良いんだってぇ男は案外多い。
夫婦なんて、実に不思議なモンですなぁ。さて、恋人同士ぃ♪なんて、言い出して盛り上がりを見せる二人の頃には、小生の場合は名前+ちゃん、ですね。
それが、
「ちょっと。」
「何。」
と言い合える間になりゃ、まぁ良いんですがね。
はまちすら 呼び名を変えて 出世する あたしゃいまでも ちょいと呼ばわり
婚姻関係も無く、民間出身で関白太政大臣になった豊臣秀吉は、大坂城で太閤と呼ばれていた頃に至っても、奥様の北政所(浅野氏ねね)に、
「おみゃあさん、そりゃ酷いだろうよ」
と尾張方言丸出して会話し、夫婦喧嘩し、大抵敗北したとか。
武士の時代は女性が虐げられていた時代、確かにそうかも知れませんが、明治維新から昭和に至る間の「薩長新政府時代」こそ、女性の存在位置が蔑ろにされた時代は実は無かったとも言えますなぁ。
徳川の時代になる時となった後、家康が時候を欠かさず最も細心の注意を払って付き合った人間こそ、この北政所でございまして、信長信奉者や秀吉子飼の武将は、徳川の時代になって随分虐げられて、更に大名を辞めさせられてしまったりと、まぁ随分な人生となりますが、家康と直接合戦した相手でもあった信長の乳兄弟である池田恒興(信輝)の子、輝政は姫路を貰い、後に岡山35.5万石として明治まで栄え、ねねの実家であります浅野長政は、紀伊を経由して広島65.6万石としてやはり明治まで残ります。
浅野家は忠臣蔵で有名ですが、分家の内紛で領地激減、いやいや事によっては御取り潰し、なんてぇのがまかり通る時代に、結果として損失無く済んだのは「ねね」への畏怖なんでしょうなぁ。
伊達家なんざぁ仙台105万石が、65万に減らされて、明治2年の段階では28万石ですよ。
「天下の太閤をおみゃあさん呼ばわりした、真の豊臣家柱」
ねねに対する尊敬でもあったりしてねぇ。
ね、女性が歴史を回しているでしょ。
男なんざぁ単に遺伝子を提供してお届けするだけの存在っすよ。
敬意を持ちましょうや・・・御同輩・・・