二十三、縁(えにし)
昭和(しょうわ)55(西暦1980)年3月、国鉄(こくてつ)鷹取工場(たかとりこうじょう)に、まきがみのてがみがおくられてきました。
ひづけは3月3日でした。
「判官義経(はんがんよしつね)さまへ・・・小樽市手宮(おたるしてみや)、しずか、より」
とかかれた、ラブレターでした。
ちゃんとふでに、すみでかかれたものでした。
「静(しずか)はんより、恋文(こいぶみ)や!」
北海道(ほっかいどう)で鉄道(てつどう)が開業(かいぎょう)して100年になるこの年(とし)、イベントとして「義経」を小樽(おたる)の北海道鉄道記念館(ほっかいどうてつどうきねんかん)によぼう、というものでしたが、札幌鉄道管理局(さっぽろてつどうかんりきょく)の人が、
「せっかく殿(との)をよぶのなら、まきがみの、恋文にしよう!」
とかいたものでした。
鷹取工場もまけてはいませんでした。
5月5日のひづけで、「静」におかえしの恋文をおくりました。
じつは昭和37年夏と、昭和43年にも再会(さいかい)しています。
この二度(にど)とも、神田(かんだ)の交通博物館(こうつうはくぶつかん)に「弁慶」にもきてください、とおねがいがありましたが、うごかすにはさくやかべをこわさなければならないことや、ながいあいだ外(そと)においてあったことで、車輪(しゃりん)などをうごかすことも、あぶないといわれてしまいました。
関東大震災(かんとうだいしんさい)のときに「義経(よしつね)」として、はこばれた「みがわり」のおかげで、「義経」は「静」となんどもあうことができるのでした。
その年の「義経」と「静」の再会は、7月7日となりました。
それはほんとうにふしぎなことです。
明治(めいじ)時代(じだい)の、おなじばしょにいた、おなじかたちの蒸気機関車(じょうききかんしゃ)が3つものこっていて、そのうちのひとつは、じぶんではしることができます。
それは日本(にほん)ではこの「義経」「弁慶」「静」だけです。
またせかいてきにも、とてもめずらしいことなのです。
そのごも、「義経」と「静」は再会しています。
縁(えにし)という、人と人のふしぎな、めにはみえないけれど、むすびあっているものがあります。
蒸気機関車は、人ではありませんし、いきものでもありません。
でも、そのなまえをつけられたときに、その縁はうけつがれたのでしょう。
そして、いま。
「義経」は大阪(おおさか)弁天町(べんてんちょう)の交通科学館(こうつうかがくかん)にほかんしてあり、いまもはしることができるようになっています。
「弁慶」は大宮(おおみや)にできた鉄道博物館(てつどうはくぶつかん)で、いまのこっている客車(きゃくしゃ)ではいちばんふるい、幌内鉄道(ほろないてつどう)の「開拓使(かいたくし)」号といっしょにかざられています。
「静」は、小樽(おたる)手宮(てみや)の小樽市総合博物館(おたるしそうごうはくぶつかん)で、いつでも「義経」をでむかえにゆけるように、じぶんではうごけませんが、いどうができるようにいつもてんけんされています。
「それがし、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、殿(との)を未来永劫(みらいえいごう)、永遠(えいえん)におまもりもうしあげます!そしてかならずや・・・静様(しずかさま)のもとへ・・・また来世(らいせ)でも、うまれかわっても、殿をおまもりもうしあげます!」
その「弁慶」の約束(やくそく)は、821年たったいまも、まもられつづけているのです。
~おわり~
※これは事実を基にした物語ですが、会話の部分などはフィクションです。
但し、極力事実に近いものを取捨選択して取り上げました。
また、作中敬称は省略されています。(人物は実在で、実際の氏名を記載しております。)
当該作品に関する販売及び収入権利は岩崎義将にありますが、著作権自体は特定非営利活動法人交通文化連盟文化局文化事業部が所管しております。
参考資料/鉄道ジャーナル(鉄道ジャーナル社刊)/鉄道ファン(交友社刊)/鉄道ピクトリアル(電気車研究会刊)/日本史年表(河出書房新社刊)/佐藤泰然伝(小川鼎三著・順天堂大学順天堂史編纂委員会刊)/氷川清話(勝海舟、勝部真長編・角川文庫刊)/新選組始末記(子母沢寛著・中央公論社刊)/一外交官の見た明治維新(アーネストサトウ著・岩波文庫刊)/新選組実録(相川司+菊池明著・ちくま新書刊)/新選組(松浦玲著・岩波新書刊)/勝海舟(松浦玲著・中公新書刊)/新平家物語(吉川英治著・講談社刊)/五稜郭(杉山義法著・角川文庫刊)/蒸気機関車義経(国鉄鷹取工場刊)/日本国有鉄道100年史(日本国有鉄道刊)他
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