(対象年令10才以上)
「源平時代編」
むかしむかしのことです。
もともとは帝(みかど)を守っていた二つの軍隊(ぐんたい)の源氏(げんじ)と平家(へいけ)の間(あいだ)で争い(あらそい)がおき、平家が勝って源氏のひとたちはいろいろな場所(ばしょ)ににげてゆきました。
源氏の代表(だいひょう)だった源義朝(みなもとのよしとも)は、尾張(おわりのくに=いまの愛知県)で、うらぎりにあってころされてしまいました。
<平治二年=1160年一月四日、尾張国内海の長田忠致の裏切りで源左馬頭義朝(38才)謀殺される>
義朝のこどもはふたりいて、ひとりは伊豆国(いずのくに=いまの静岡県)につれてゆかれて、もうひとりは都(みやこ)の北にある鞍馬山(くらまやま)のお寺にいれられました。
このお寺にいれられた男の子は牛若丸(うしわかまる)とよばれていました。
牛若丸はちいさい赤ちゃんでしたが、やがて大きくなりました。
このころ都では夜になると大きなお坊さんがあらわれて、刀(かたな)や槍(やり)をとってしまうおそろしいことがおこっていました。
牛若丸は女のひとのすがたをして、よるおそくに都の五条(ごじょう=五条大橋・現在の四条橋付近)にゆきました。
するととてもおおきなお坊さんのかっこうをした男があらわれました。
とてもみうごきのはやい牛若丸に、男はやがて
「こうさんしました!」
と負(ま)けてしまいました。
「おまえはなんという?」
「比叡山(ひえいざん)にいます武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)ともうします。」
「弁慶(べんけい)とやら、こんなわるいことをしてはいけない。」
「わたしもただこんなわるいことをしているのではありません。いまの平家の政治(せいじ)がひとびとをくるしめているので、平家のものから刀をうばいとって、こらしめているのです。」
「そんなことをしても世の中(よのなか)はかわらない、都のひとたちがこわがっているからやめなさい。」
弁慶はこの男の子が言(い)うことは、ほんとうだ!とおもいました。
そして、その男の子が気(き)になり、都のほかのお坊さんにたずねると、
「それはころされた義朝さまの男の子で、牛若(うしわか)様という。鞍馬(くらま)にいるはずだ。」
とおしえてもらい、さっそく鞍馬へゆきました。
「おお、おまえはあのときの弁慶だな、どうしたんだ?」
牛若丸にあえた弁慶はおねがいをしました。
「それがしを家来(けらい)にしてください。あなたはほんとうは源氏(げんじ)の頭領(とうりょう=だいひょうのこと)なのてす、平家をたおしてひとびとがやすらかに暮(く)らせる世の中をつくらなければなりません。」
牛若丸はおどろいたのですが、このすこしまえにも、おなじことをつたえに、ひとがたずねてきたのです。
「いまはそんなことはかんがえていない、しゅぎょうをしてりっぱなお坊さんにならなければなりません。」
それでも弁慶は牛若丸のもとへかよってくるようになりました。
やがて、おおきくなった牛若丸がかたきうちをするかもしれない・・・
そう言(い)われた平家の頭領(とうりょう)、平清盛(たいらのきよもり)は牛若丸をつかまえようとします。
それをしった弁慶は牛若丸とともに東北(とうほく)陸奥国(むつのくに)平泉(ひらいずみ=現在の岩手県奥州市平泉地区)にいて、東北のほとんどを治(おさ)めていた藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとにゆくことにしました。
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