小生も一時期、お芝居にとても興味が湧いた時期がございます。
ちょっとそんな教室を覗いたり、小劇団の役者さんだった先輩にくっ付いて行きまして、裏方のお手伝いなんかしてみたり。
その影響が大きかったんでしょうか、上野駅案内所の契約職員をしておりまして「帰休時期」になり、最初に選んだのは舞台制作の会社だったんですね。
自分自身が役者になる事より、制作=裏方の世界に心がくすぐられた、のは事実です。
まぁそれ以前にツラも格好も役者と言う風体では無かったんですが・・・・
舞台制作の会社に入って、最初に配置されたのは埼玉県浦和市の公立ホールで、その舞台電気設備のアシスタントとして、まぁ仕込まれました。
何せ「仕事は盗め」の風情が残る、伝統が最優先な世界でございますから、先輩の指導は厳しかったですね。
その後、何故か国立劇場にお声を掛けて頂いたものの、未だ十九歳ソコソコの青二才は、もっと華やかな場を求めたのでございます。
NHKホール・調布グリーンホール・渋谷公会堂と渡り歩いているうちに、原籍会社の上野駅案内所下請OB会社から戻って来いな、と言われて退職します。
今考えるととても有り難い事ですが、
「どうしても戻るの?もったいないな~君は素質があるって言われているのにね・・・」
と、課長さんが慰留して下さったのですが、やはり国鉄上野駅に後ろ髪を引かれまして・・・・
さて、それで現場復帰して草々の事です。
初冬の頃ですが、宵の口で夜汽車の発車が重なる頃に一人の紳士が中央案内所柵外にお出でになられました。
「いや、つかぬ事を伺うけれど、今日本で蒸気機関車が走っている処ってどの位在るの?」
「はい、国鉄では山口線、私鉄では静岡の大井川鉄道ですね・・・ご旅行ですか?」
「映画を作っているんだけれども、戦争中と言う設定で、似合う処は無いかな、と探しているんだよ、当時の車両とか解りませんか?」
即答は出来なかったので、明後日にお出で下さい、その時までに調べて置きますとお約束しまして、早速調査開始!
その翌々日にこの紳士はお出でになられて、結局大井川鉄道に決着しました。
翌々年の夏、試写会の切符が小生の自宅に郵送されて参りまして、それがその時の作品だったのでございます。
その不思議なご縁から、お付き合いを賜りまして、小生が蒸気機関車に関与出来た事やイベント企画の方向に進みたい等のお話をしていた頃でございます。
丁度、その年のC623機の運行準備をしていた頃にこの紳士=プロデューサー氏からお電話を頂いて、
「企画の勉強の為に、ドラマ作りの最初から最後まで付き合ってみないか?」
と・・・・
これは千載一遇のチャンスでしたし、ただ約束と言うか条件とされたのは、
「君にはやるべき事があるのだから、この世界に埋没してはいけない。これは最初で最後だと思いなさい。」
と・・・・
もとよりその世界で仕事をして行くつもりは無かったので、快諾しました。
その年の夏8月、小樽でロケーションハンティングをこのプロデューサー氏と監督氏、そして小生の三人で行いまして、先輩の営むレストランや知り合いの会社の倉庫などを御案内し・・・・
その9月初旬、小生は北海道旅客鉄道札幌運転所検修庫に置かれたスハネフ14形式寝台客車の車掌室で、車掌さんの制服・制帽を身に付けて、伊藤蘭さんとお芝居・・・と言っても芝居にもならないものですが・・・・そんな状態でカメラの前に・・・・
そんな不思議でございます。
まさに人と人との出会いは不思議、妙縁とはまさにこの事でございます。
で・・・・・・・・・
その後、約束はあっさり破られまして・・・・それもロケから帰って来たその瞬間です。
玄関を開けて、荷物を降ろした瞬間に電話が鳴りました。
「ああ、制作のAです、今回はお疲れ様・・・・でさ、来週空いてる?また小樽のドラマで今度は二時間ものなんだけど・・・」
ああ、ごめんなさい・・・・・・・・・・