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さて、昭和61年8月15日。
小生達「そらち」号乗務チームは、東北本線を北上する普通列車の車内でございました。
はい?
ええ、小生一行がオーダーメイドしましたオリジナル列車「そらち」号は札幌発でございます。
しかし、その「そちら」号に乗るために選択したのは、函館発23時51分・函館本線下り荷物・・・いえいえ、普通第41列車「ムーンライトエクスプレス」でございまして・・・
一応、札幌駅旅行センターと相談して、参加者は青春18きっぷを使って第41列車に乗車すると伝えますと、当日はお盆の関係で客車は増結しているので大丈夫でしょう、と・・・
ただ、自由席ですから大事を取って函館駅にも御報告はさせて頂きまして、一行の座席は確保できる様に配慮はしました。
その東北本線の列車内で、山形県米沢市からやって来たと言う高校生の女性グループ4名と意気投合しまして、「そらち」にご招待させて頂く事になりました。
こちらは十数名の全員スタッフ。
御客様として是非是非と・・・半ば強引だったかも知れません。
青函連絡船を下船し、若い衆に座席確保役をやらせて、定刻に第41列車「ムーンライトエクスプレス」は函館を出発して行きました。
翌朝、札幌駅で切符(団体乗車券)を受け取りまして、早速山ほどの清涼飲料水を買い込み・・・
ホームには既に上砂川町出身の皆様一行二十余名がお待ちでして・・・
放送が掛かりまして、苗穂方向から・・・やって来ました!
キハ22カーペットサロンカーが2両。
この2両だけの単独運転はこれが最初でして・・・
ただ、ホームには鉄道ファン、誰も居ないのです・・・
あれあれあれ???
だって、外見は下の画像の様な、当時札幌では珍しくも無かった朱色一色塗装のディーゼルカーが二つ、ですからね。
が!
車内はびっくりです。
小生が春に尋ねた時に製作中だったキハ22603号には、立派な一枚板のテーブルに特急車の座席、ちょいと洒落たシャンデリア風の側板灯もついて、その先には真新しいカーペットが敷き詰められています。
早速、愛称標示板を取り付けて運転準備ですが・・・
「買出し部隊が戻って来ないぞ。」
列車は08時05分発。
実は特急らいらっくの後にくっ付いて運転し、その後ろには貨物列車やらが押し寄せているダイヤだったのです。
更に札幌~砂川間は停車無しで、特急の直後運転を確保した、ちょっとホラーな運転ダイヤ。
「全員乗車完了っ!」
よぉし、行くぜぇ!
「発車良し!」
「了解、発車良し!扉閉めます!」
で、車掌さんに伝えて扉が閉まります。
「発車します!」
で、函館本線下り臨時通気第9151D列車「そらち」が発車!
「親分!あれあれ!」
「何?」
買出し部隊がホームでぼーっと眺めているじゃあ無いですか!
「停止っ!停止っ!」
で・・・緊急停止。
慌てて買出し部隊を収容し、90秒遅延で発車します。
今度こそ・・・「そらち」号は札幌駅を後に速度を上げて参ります。
車内放送でご挨拶と御案内の後、ほっと一息・・・と思ったら・・・
「本部長、暑いですよね。」
「え?扇風機付けたら・・・・ア・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
天井に付いている筈の扇風機が・・・・・無いのです。
後日、付け忘れた事が判明したのですが・・・・
幸い、ローカル線用ディーゼルカーとは言え、速度時速90キロでほぼ固定のまま列車は次々と駅を通過して参りまして、車窓から入る風は心地良いもので・・・
キハ22603号は上砂川町の皆様で御利用頂いておりまして、既に酒宴が始まっております。
名刺を交換したり、経緯をお話していると、輸送担当の若いスタッフが血相を変えて飛んで参ります。
「どうした?」
後に交通文化連盟の専務理事となる彼は、未だニキビ顔の少年でした。
「何か漏れてるって・・・」
飛んでキハ2293号、もう一つのカーペット車に参りますと数人が、
「何かポタポタ垂れているのですよ・・・」
と、報告を・・・
窓から見ると、燃料供給口のフタがかぜに煽られて、
パタ・・・パタ・・・・
何て言ってるじゃあ無いですか!
「この下って・・・・エンジンだよね・・・夏だから・・・カバー・・・無いよね・・・」
とにかくもフタのパタパタは止めようって事になりました。
「手を伸ばして、フック止めようや・・・」
「誰が?」
乗務員全員の視線は小生に・・・
「おい、しっかりとベルトを持ってくれい。」
副長のF君が、
「責任者、だもんな・・・」
だなんて冷静に肩叩いている場合かよっ!
窓から身を乗り出して見ますが・・・届かない・・・
列車は時速95キロで野幌駅を過ぎて高速運転中です。
「万が一があるといけないから、消火器を用意!」
他の幹部が指示を飛ばしています。
「もう少しなんだけれどなぁ・・・」
「おい、岩見沢で臨停(臨時停車)噛ましたら?」
「いや、遅れはダメだ。」
こんな時でも・・・いや、こんな時だからこそ国鉄マンとしてのプライドが最優先になるのですね。
スタッフ6人でズボンのベルトを押さえ、もう一度身を乗り出します。
と・・・届いた!
が・・・
フタを閉めた時、フックが外れてコロコロと落ちて・・・
同時に、
「危ないっ!」
と声がして、ほぼ同時に小生の体が引き戻され、その瞬間
ぶんっ!
と「速度制限標示板」が顔の前を過ぎて行く・・・
お、おっか無ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
「よし、もう一度行こうか。今度はガムテープで止めよう。」
と、副長君。
何故にみんなそこまで冷静かなぁ・・・・・・・・
先に国道5号線を走る自動車の列が見えます。
「せーの。」
で再び小生は車体側面に。
これ外から見たら奇妙だぜ・・・キーハンター(昭和43~48年に東京放送系列で放送されたテレビアクション帯ドラマで、丹波哲郎さん主演で、千葉真一さんと野際陽子さんが共演、後に結婚の切っ掛けにもなりました。東映制作。)じゃあ無いんだから、何て愚痴をこぼして・・・
さて、首尾よく岩見沢駅を通過するまでにはフタは固定しまして、一段落。
車内ではかなり盛り上がっております。
当時、特急列車も全便が岩見沢駅には停車していたものでして、それの通過ですから特急以上!
「本部長・・・実は時刻、1分早いんですよ。」
「え?」
運転担当の彼が計算したところ、本来は最高時速95キロで設計されているキハ22形式気動車、一部で時速100キロ以上になっている筈、と言うのです。
「ちょうどぶら下って居る頃じゃ無いですか?」
・・・・・・・・・・・・・・・小生、答が見つかりません。
第9151D列車は何時の間にか石狩から空知へ入っております。
幾度か旅で見掛けた駅や光景も、責任を負っておりますと違って見えてくるものでございます。
ドリンクサービスは中間のデッキと洗面所を占拠しておりまして、ちょっと覗くと・・・
まぁ、米沢の女子高生チームがお手伝いをしております。
「だって、タダで乗っけて貰うんだから、悪いもの・・・」
・・・・・・・・・・・・・・いや、本当に助かります。
さて、列車は砂川駅に到着、早速運転士さんが点検を致します。
列車はこれから歌志内線に入ります。
運転士さんが小生を呼びまして、
「これね、ラジエターの水なんだわ、それでこっち(キハ2293号)のエンジン切って行くけれど、ちょっと遅れが出ても良いかね?」
「はぁ、大丈夫ですよ。この後殆どが上砂川で一泊なものですから・・・」
「そう、一応確認ね。じゃ今、指令に伝えてくるわ。」
列車無線では差し障りが在る内容なので、鉄道電話を掛けに行かれました。
運転士さんは苗穂機関区の方でした。
この機材も同じ苗穂機関区のものです。
その同僚であるこの車両の故障となりますと、同じ機関区の仲間達が責められたりする場合もあります。
こんな配慮が、国鉄家族の良いところでございます。
隠蔽体質とか、閉鎖的とか・・・勿論それが全て良かったものでも無いのですが、そんな気配りこそ鉄道と言うヒューマンネットワークシステムなビジネスには不可欠なのです。
さて、砂川駅停車中に小さいものですが、前後の正面貫通扉に「ヘッドマーク」も取り付けられました。
高速運転の函館本線上では万が一脱落なんて言うと事故になり兼ねませんしね。
列車は定刻に砂川駅を出発して参ります。
「次の停車駅は終点、歌志内です。」
勾配がそれなりございます歌志内線を、ワンエンジンとなった「そらち」は定刻で運転して行きます。
山並みとそれに連なった小高い丘が迫って参りまして、やがて列車は減速しますと、広い構内を持った歌志内駅に到着致します。
当時は空知炭鉱の石炭積出基地も抱えておりまして、構内は広くセキ、と呼ばれた石炭貨車が幾つか留置しておりました。
歌志内駅では駅長さん始め、皆様でお出迎え頂いて、本当に嬉しかったものです。
「いや!やっとまた会えましたね!この間は未だ雪が残ってたもねぇ!」
握手は痛い程でした。
ここで参加者は徒歩で「昨日、悲別で」(昭和59年日本テレビ系列放送の帯ドラマ)の「悲別ロマン座」として、また高倉健さん主演の映画「幸福の黄色いハンカチ」(昭和52年10月松竹系公開/山田洋次 監督)でもロケセットとして使われた旧住友上歌鉱会館の見学と言うミニツアーへ行かれ、小生達輸送チームは一休みと共にドリンクの買い出しやら、愛称標示板の付け替えをして・・・
と、スタッフの一人が列車の撮影中に蜂に刺されたのです!
直ぐに手当てをさせて・・・みるみる腫れてくるのです・・・
取り敢えず、安静にと列車に戻しまして・・・
最初のオリジナル列車、それも未だ半分なのに、もうこれだけの予想外事態の連続です。
全く、前途多難とはこの事でございます。
(3へ続く)

