本日はこれから各種作業のために流山に出掛けます。


 実は昨夜より調べ物がありまして、寝ていなかったのでツライ・・・


 7月13日、本日は小生のオヤジの命日でして・・・


 中学3年の事でした。


 それまで病弱で大半を病院暮らしとしていた親父殿が、中学3年生の一年だけは自分の手許から高校へ行かせたい、と言い出して小生は親父殿の元へ。


 それが4月初めのことでしたから、結局三ヶ月だけでした、親父との生活は。


 それ以前も、物心付いて以降は一緒に暮らした事は無く、また親父と二人・・・と言うのでは無くて、十しか違わない後妻さんと、またまた十違う弟が居りまして・・・


 新しい学校に移る早々、演劇同好会の顧問教師から誘われて部員になり、そこに現役の俳優をしていた後輩がおりました。


 彼女の親友でその同好会の後輩でもありましたのが、後にレコ大を二度獲得した女性歌手になる彼女でした。


 家が目の前だった事もありまして、親父殿の葬式の後、小生は後妻さんから同居を断られ、結局6月から始めていたアルバイトの新聞屋に奉公に入ります。


 まぁここが酷いもので、小生がとにかくごめんなさい、でも今もって朝日新聞購読しないのは、その時のトラウマですし、後々国鉄に入ってからも労組に加わらなかったり、絶対赤旗は手にしなかったのも、その強烈な忌避本能が作用するのですね。


 個人的には凄く良い人が沢山居るのは解かっているのですが、一応このお話をして承知して頂いております。


 もう嫌になっちまうんですよ、午前3時から夜中23時過ぎまで、まぁ断片的ですが大学生の先輩達と一緒です。


 三畳間に押し込められて、月給は朝夕刊300部で18000円、但し食費が18000円でノーギャラです。


 クラスメイトで同じ新聞会社の別の新聞店に夕刊のみ300部を配達していたのが居まして、彼は月給38000円。


 いや、本当に腐りました。


 そんな時、おにぎりと味噌汁を作って待ってくれていたのが、かの演劇の後輩達です。


 いゃ、かの歌手の手作りおにぎりを食べたってのは自慢(?)になりませんか?


 さて、こんな状態になるなんてその日は思いませんでした。


 昼ちょっと前、担任が教室へ飛び込んできて、


「早くご自宅に帰りなさい!」


 学校から家まで徒歩2分、帰ると親父殿は既に死後硬直を始めていました。


 そして何故か看護婦の後妻さんは泣いているだけ。


 小生、脈を取ったんですね、そして状況を聞いて、直ぐに市役所へ行き、病院へ行きして死亡診断書と死亡届を提出して参ります。


 不思議とホッとしたんですよ。


 それまで、親父殿は二人の男の子を抱えて、やはり生活に不安なんてヤマホドあったんでしょうしね。


 その束縛から解放されたんだなぁ、そんな気がしました。


 まぁ殆どしていない苦労で、これが一番辛かったかな。


 その後が・・・と言うのが正解ですが・・・・新聞店での過酷な労働と孤独感、おまけにその店主には


「お前、家族から邪魔にされたんだよ、お前は捨てられた犬と同じ、俺が拾ってやったから生きているんだ」


 その真横で仲間の担任教師は、


「本当にそうよ、こんな親切な人は世間にそうは居ないわ。」


 で、一度自殺しようと決意しましてね・・・ここからが小生らしいんですが、男が死ぬと成れば腹掻っ捌いて一文字っ!


 で、風呂場で包丁腹に当てて・・・先がトプッと皮膚に入るんですね・・・・ところが脂肪が邪魔して・・・


 で、結構出血ってするのですね、真夏でしたし風呂場は暑いし。


 ここではたと考えたんです。


「ここまで皆の邪魔で生きてきたんなら、しぶとく生きてやろうかなぁ・・・まぁ何時でも死ねるんなら、いっそこんな馬鹿は二度と出ないよなって、そんな名位残して死んでやろう。」


 と、結局何処かお笑いなんですね、根本的に。


 で、処理しまして・・・・


 夕刊の配達に出掛けると、何時ものルート上にありました交番の前で痛みが・・・汗が傷に・・・


「おいおい大丈夫かい?」


 お巡りさんは優く声を掛けて下さいました。


 この交番が後に当直の警察官が殺害されて時効となった現場です。


 この警察官の方の勤務時期がズレておりまして、この優しい方では無かったのですが、心境は穏かに成れません。


 その帰りに、不思議とかの演劇の後輩達が小生を待っていてくれて、メンバーの一人の家が寿司屋を経営されていて、そのお母様には随分助けて頂いたのですが、この日スイカを用意してくれておりまして・・・・


 宿舎に帰ると松戸の中学時代の友人から電話がありまして、


「あのさぁ、この間のトレインクラブの話、OKだってさ・・・こっちは5人位は集まるよ」


 妙縁です。


 不思議です。


 これが日本トレインクラブの始まりとなりまして、今日特定非営利活動法人交通文化連盟と続く流れの始まりでございます。


 昭和54年8月5日夜20時、晴れて熱い日の事でございました。