ブログネタ:不必要な学校行事は? 参加中


 小生、ともかく運動苦手でしたから、運動会なんて不要、と考えますが、一番無駄は合唱祭ですね。

 これは実施する学校とそんなもん無いよ、と言う学校がございますが、コーラス自体は大変楽しいものです

 小生もコーラスやってました・・・と言うか関与していましたから、それ自体の素晴らしさは深く認知しておりますが、これでクラス毎にとか合唱部なんぞ無いのに地区・県などでコンクールなんてやるの、ありゃ無駄。

 何故かと申しますと、全く実効性・経済性を考慮していないからです。

 教育現場にんなもん要らぬっ!と元気になる先生、ちょっとまぁお付き合い下さい。

 兎角、コンクールなんかになりますと高度な題曲が使われます。

 外国語だったり、高度な技法が必要だったり、そんな意味で高度と言うのですが、問題はそれを歌う生徒さんが、まさに発声基礎すら教わっていないのに、まぁ先生の見栄・意地・興味、そんなもので選曲されて、歌わされるのです。

 で、大きな壁が・・・

 それを教える先生自体が歌唱のレベルどころかそれらの技法・理論、何よりもそれを歌う生徒さん一人一人の特性も知らないで、選曲しちまっていることです

 聞こえは良いんですよ、高度な曲に挑戦したって言う点で評価は付きますからね、しかし作品自体の出来はどうですかねぇ、結局先生一人の自己満足で無いかい?

 小生が凄く感激した曲がございます。

 とあるプロの合唱団が、「木琴」(作曲 岩河三郎/作詞 金井直/混成三部)と「大地讃頌」(混成合唱とオーケストラのためのカンタータ土の歌第七楽章/作曲 大木惇夫/作詞 佐藤眞/四部=演奏されたのはこのピアノ及び混成四部版)と言う、まぁコーラスではオーソドックスな曲を演奏したのです。

 小生、結構聞き込んでいた曲でありまして、それぞれ中学生の頃から親しんだものなのに・・・

 木琴で、ふと気が付くと真夏のホールなのにも関らず、まぁ冷房は効いていたけれど寒い、と言うよりは冷たい、寂しい、痛い・・・

 そして、涙が溢れて来るのです、本人の感情は至って平静なのに・・・

 死んでしまった妹の形見の木琴がふわっと脳裏に映像として浮かび、不可思議にも日没直前で雨の日の色や、ちょっと焼け焦げた匂いが漂う雨の日の匂いなどが次々と包んで来る様に出て来る。

 そして大地讃頌は、土の匂いと何処までも見渡す限り続く平原・・・何時か夏に旅した北海道十勝根室の光景が、夏の終わりの夕方のカラートーンで浮かぶのです。

 今時は小学校の授業でも使うと聞きますが、この二曲とも凄く高度なのです、本来。

 曲自体のブランドで決めてしまう、その曲を歌い込み、それに匂い・風・光を想起させる表現を加えて、独自の作品にする・・・・この思想が欠落しているのです。

 小生、そもそも高校不要論者で、英語教育反対派です。

 外人さんにコミュニケーション取れない、実用出来ない英語を今時は小学校から教えるんですってねぇ。

 何時まで尊皇攘夷張ってるんだぇ?

 日本語もまともに喋られない・・・

 らを抜くなよ、ら!

 情けは人の為ならずってのは、為に成らないってぇ意味じゃ無ぇぜ!

 義理ってのは軽薄な関係って事じゃ無ぇぞ!

 自分の家族にお母さま、と真顔で答えるかぁっ!

 留めに、絵文字使わなくても伝えろよ、心。

 こんな母国語も使えないのに、何が英語だ、それも半世紀もすりゃ使用人口が壊滅する米国英語じゃ無くて、日本製の英語イングリッシュと違うだろや!

 第一に中学は義務教育機関であって、上級進学の為の予備校じゃ無ぇぜ。

 全くさぁ、日の丸・君が代って騒ぐ皆様、天皇陛下の存在と意義と裏付けとなる法制が何なのか、知っている日本人がとてもとても少ない中で、先ず日本語勉強しましょうよ。

 外国語がどうしても必要と言うなら、第二外国語ロシア語北京語・ハングル語も取り入れましょうよ。

 そっちの方がむしろ実用的でしょ?

 それでもって、少なくても米国人最低のコミュニケーション取れるレベルは行きましょうよ。

 で・・・中学5年制度、高等学校2年制度で短期大学を廃止し、大学は基本3年

 そんな感じの学校体制のリセットを主張しちまいます。

 教養学部なんて無くしてしまいなさいよ。

 第一、大学行って体育ってのは、能天気にも程があるわ!

 それで専科教育と研究に徹底させましょうや。

 加えて研究論文偏重としてさぁ、学士+修士で卒業としましょうよ。

 それなら学卒者基本給が最初っから高くても、誰も文句は言わないわな。

 ま、人間やって行くのに必要なのは確固とした「自身に活きた」哲学であって、学歴でも勲章でもありはしないけんどもね

・・・・・・・・・・・・って、また霞ヶ関に喧嘩売っちまった。