国鉄函館本線函館~札幌間には昭和61年11月30日まで夜行の普通列車が運行されていました。


 昭和55年9月版道内時刻表には


函館23時51分発滝川行普通第43列車(札幌から第825列車)


札幌21時19分発函館行普通第44列車


 ところが同じ時期の国鉄時刻表には


函館23時51分発滝川行荷物第43列車


札幌21時19分発函館行荷物第44列車


 との記載もあります。


 え・・・同じ時間で同じ番号の違う列車????


 これ、実は普通旅客列車と言うりも、隅田川~札幌間の荷物列車の一部でして、正解は「荷物第43列車」なんですね。


 実際の写真が下です。


 これは翌年の昭和56年8月に撮影した、函館駅停車中の第41列車なんですが、編成のうち札幌・・・つまり前寄り5~6両が荷物車や郵便車で、旅客用座席車は後ろにちょこっと・・・この日は盆輸送の最中だったもので4両でしたが、普段は2両しか無かったのです。


 つまり、荷物列車に客車をつなげさせて頂いた、居候みたいなものだったのです。


ap2015 ←41列車。


 さて、小生が初めて北海道へ渡ったのが昭和53年夏、国鉄上野駅にアルバイトで潜り込んで、そこで貯めたお金が全部旅に消えると言う、まぁご苦労様と言うか毎度ありがとうございますと言うか・・・


 昭和55年8月の旅で、たまたまご一緒した旅師・・・北海道均一周遊券=北海道ワイド周遊券=道均で、有効期間20日・・・どころか22日間、旅を住処とする人々・・・に、面白いお話を伺ったのです。


 この頃(昭和55年8月)、道内には幾つもの夜行列車がございました。


札幌~稚内間急行第317・318列車「利尻」


札幌~網走間急行第517・518列車「大雪7・8号」


札幌~釧路間全席寝台・グリーン・指定急行第417・418列車「狩勝7・8号」


小樽~釧路間普通・寝台第423・424列車「からまつ」


函館~札幌間全席寝台・グリーン・指定急行第1217・1218列車「すずらん5・6号」


函館~札幌・滝川間普通第43・44列車


 同じ普通列車でも樽釧間423・424列車には一両だけですがB寝台車が付いておりまして、山陰線紀勢線・長崎線のものと同様に、この寝台券発売の為にちゃんと列車愛称が付けられていたのです。


 で・・・函札間のこの列車には指定席なんか無かったもので、愛称なんて付けられなかったのです。


 それを旅師の皆様は、実に粋ですがムーンライトエクスプレスと名付けていたのです。


 何故、そんな名前になったのですか?と質問すると、


「それはね、満月の日に乗ってみれば解かるよ。」


 で、満月ではなかったものの、乗ってみました。


 但し、札幌発上り荷物・・・いやいや、普通第44列車へ・・・


 昭和ヒトケタ製造スハフ32形式・・・窓が細かくて、車内もニスが幾重にも塗り重ねてございまして、おまけにサークライン・・・つまり丸蛍光灯では無くて、白熱電灯なんです。


 硬い向かい合わせのボックスシートに陣取りまして、銭函駅を出ますと急に全体が暗くなったのです。


 昔の電灯ですから、余り明るくないのです。


 そして、進行右側に日本海が迫り、その暗闇の向こうに小樽の街灯が見えたのです!


 それは天の川、まさに銀河鉄道です。


 ですが、車内は通勤列車


 多くの方が立席で、更に冷房なんてございません・・・在来型一般客車ですから・・・


 で、小樽を22時16分に出て、倶知安に23時47分到着。


 ここを23時52分に出発すると、通勤の御客様の姿は殆ど消えて、


「これより深夜帯となりますので、車内の電気を暗く致します・・・」


 そんな放送が掛かって、突然車内が殆ど真っ暗に近くなりますと・・・・


 真夏なので窓は開けっ放しだったのですが、眼が慣れて参りますと・・・本当の天の川が見えた


 それも、車窓のこちら側・・・座席に座っていて、です。


 そして、車窓から月の光が差し込んで、床を照らしているのです


 小樽から長万部までは山線と呼ばれ、小樽砂留・銀山・倶知安・目名4つの勾配を抜けて行くのですが、何分にも明治時代に作られた路線で、左右に蛇行してレールが延びているのです。


 と・・・さっきまであちらから差し込んでいた月光が、今度はこちらから差し込む・・・


 これがムーンライトエクスプレスの由来だったのです。


 時折、踏切の警報機と、安全対策用の水銀灯が眩しく通り過ぎて行きます。


 窓から顔を出して前を覗くと、鮮やかな構内信号機出発信号機が、赤に変わって行くのが見えます。


 もう、興奮です。


 今、確かに旅をしている!!!!


 その実感は息苦しくなるほどに心地良いのです。


ap2018 ←57年冬の41列車。手稲駅にて。


 この愛称は我々の間では瞬時に拡がりました。


 そして、私達が自前で企画制作運営した最初のイベント列車は「ムーンライトエクスプレス&そらち号」と言うコピーで作られ、参加者が少なかったので、函館~札幌間は第41列車青春18っぷでしのぎましたが、これが公表第一号となります。


 このコピーで企画書を取りまとめて国鉄札幌駅旅行センターに送ったのが昭和60年12月です。


 で、翌年8月に実施と相成ったのですが、61年11月には本物のムーンライトエクスプレスが廃止となりまして、まぁ直ぐに快速「ミッドナイト」が室蘭線経由で設定されるのですが、あの月光快車ムーンライトエクスプレスはその後、実現に至っていないのです。


 平成元年会津在来型一般客車=レトロ客車で実施したイベント便に、迷わず「会津ムーンライトエクスプレス」、翌年の常磐・仙山・奥羽線経由、最後のレトロ列車板谷峠運行となったものに「ドリーミング・ムーンライトエクスプレス」と名付けたのは、あくまで我々の中では「本家ムーンライトエクスプレスは、山線経由に限るべし」との原則が不文律で残っている為です。


 それは乗ったことのある者ならば、忘れることの出来ないムービーシーンな一夜であったからでしょう


 そんな素敵が、定期列車で毎晩走っていたのです