ブログネタ:どんな子どもだった? 参加中


 小生は生れたのは神奈川県横浜市鶴見区なんですが、これは一時的で、幼少期は東京都足立区興野町・・・西新井大師の南方なんですが、ここで小学校を出るまで育ちました。

 両親と共に暮らした記憶はございません、殊に父親とはトータル2年しか無かったらしいんですね、更に母親もトータルで5年は居なかった・・・これ成人になるまでの累計です。

 こうなりますと、周囲はとても不憫と思ってくれて、いゃ~まさにお坊ちゃまで育ってしまったのであります。

 育ちが良い、と言うよりは、ボケーっと育ってしまった・・・と表現する方が適切ですね。

 さて、小生の家系なんですが・・・

 父方は東京都台東区浅草が実家で、元々は洋服屋を営んでいたとか、父は末っ子なんですが太平洋戦争職業軍人だったお兄さんたちが戦死、或はシベリアに抑留されて帰国後も結婚せずにそのまま・・・・と言う事で、何時の間にか小生が父方の実家に於ける嫡男となってしまったのです。

 死んだ祖母が、

「ウチは東の本家、宗家ですよ。」

 と言っていて・・・優しい人でしたが、何か何時も背筋の伸びた印象がございました。

 加えて叔母が、

「ウチはお爺さんが商売人で、昭和恐慌の時に崩れてしまったけれど・・・その前(先代?)は横浜で呉服屋をしていて、御維新の前に八王子から武士を辞めて横浜に出たらしいわ、元々は山梨に居たと聞いたけれど。」

 なんて言っておりました。

 母方はこの足立区なんですが、元々は新潟県魚沼市小出区、ちょいと前まで小出町だったところで、ここに代々続く名門だった・・・そうですわ。

 この一族も気位が高く、

「ウチはお殿様が馬から降りて入った名門。」

 で、お爺さんが長男で、その長男の叔父に子供が無かった事から、小生を養子にして家名を残すっ!なんて話をしていましたっけ。

 どの道、小生が当主になってしまうのですが・・・

 で、弊連盟に於いて流山市新選組観光案内を始めるってんで、勉強していましたら・・・近藤勇土方歳三達が元々は甲州武田家の家臣達を中心に、元武士なんかが特定契約に基づいて移住させられた(八王子千人同心)人々の縁者とか・・・そんな中で偶然、山本勘助とのつながりを見つけたのです。

 山本勘助清和源氏で、源経基の次男で鎮守府将軍だった満政、その子孫で吉野冠者木田太郎重孝の嫡男・重泰吉野と名乗った事からスタートした甲斐の源氏一族で、駿河国富士郡山本村に住んだ貞倫の嫡男・貞久が、今川家に仕えた時に山本と改姓したとなっております。

 その孫が勘助貞幸、後に武田家に仕えて晴幸となりますが、昨年の大河ドラマの主役でございました勘助です。

 どうもウチは富士川流域に関係がある様子で、小生は元々が甲斐側に所領があったのでは無いか、と・・・

 一方の母方は不明な点が多いのですが、近江(滋賀県)に関りがあると聞いた事や、小出が後には会津藩の飛地領だった事、今も菩提寺が現地にある事から、先祖の井口伊兵衛が織田方武将の家臣筋で、後に上杉に拾われて家臣となったものと類推しています。

 上杉平三源輝虎謙信の後継者は上杉景勝で、景勝の時代に越後会津米沢と移っておりますから・・・これはこれで来年の大河ドラマの主役の同僚?ってな事になりますが・・・

 となりますと、父方は武田、母方は上杉・・・って、一人川中島合戦って事スかぁ!?

 その一人川中島少年は、小学5年生まで線香花火も持った事が無い位、とにかく気の小さいガキで、喧嘩なんて真っ平御免

 臆病が歩いているみたいなもんでしたが・・・

 上野駅に勤めた頃から凶暴性が目覚めだしまして、二十歳の頃にはかなり気の強い、二十三歳で武将の様だと言われ、千のマニア相手に喧嘩を仕掛けて・・・

 年齢を重ねると更に暴れん坊ぶりを発揮して・・・

 これでは勿論、御家再興なんぞ夢のまた夢

 そして母の曰く。

が飛んできても震えていた子が、ど~してこんなになっちまうんだろ~ね~。ああ!元々の血ね本性が出て来たかぁ!

 ママ、納得しないで下さいな・・・

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