ブログネタ:夏になったら思い出すことは何?
参加中
痛い程の陽射しが、肌を焼いて行くってのが全く適切な、と言う程の快晴でした。
気温も湿度も高く、普段なら日本海からの風が不快なそんな空気を持って行くんだそうですが、その日は風も無く、運河からは腐臭と汐の匂いが漂い、決して快いとは言えない・・・・・・
そんな匂いと日射の中、小生はただトボトボと工場や倉庫の並ぶ中を一人歩いて居りました。
昭和56(1981)年7月28日・・・今から27年前の事ですが、17歳・高校2年の小生はひたすら北海道小樽市の街中を歩いて居りました。
そもそものこの旅の切っ掛けは不純でして、前年夏に旅をした時、紹介されていた札幌市の親戚が急逝と聞いて、東京地区親戚代表として葬儀に参列するってぇ理屈で出掛けたものでして、旅費は親戚が出資してくれたもので、一度は・・・と密かに考えていた「電車寝台」に乗って見る機会到来っ!
とにかくも失礼で不謹慎な話ですが、上野発東北本線青森行特急第5M列車「はくつる」のB寝台下段で、客席窓を占領して、駅の仲間達・・・それも制服や制帽の・・・7・8人に見送られて出て、青函連絡船第5便と函館発室蘭本線経由網走行特急第5D「おおとり」と乗り継いで渡道して来たものであります。
葬儀が終わり、早速親戚が
「折角来たんだから、観光でもして来れば良いしょ!、滅多に来られ無いもんねぇ。」
と言ってくれたもので、前年から凄く気になっていた場所に向かったものです。
北海道の鉄道の原点で、この時には貨物駅としてひっそりと一日に1~2往復の貨物列車が出入りするだけの手宮駅、それに隣接する北海道鉄道記念館にございました蒸気機関車第6号機「静」と、日本最大最速最美の走将C62形式3号機を見るため、でございました。
特に東京・神田の交通博物館で埃を被ったままの「弁慶」はショッチュウ眺めておりまして、何か魅かれるものがありまして・・・
それと鉄道ファンの先輩達が口を揃えて言う、
「C62の重連は凄かった」
その巨人機とやらを一目・・・と考えていたものです。
小樽駅自体が上野駅正面に近似した設計をしておりまして、雰囲気もとても宜しいのです。
で、駅前の国道5号線を渡って多少の坂となっている「小樽停車場線」道路を行きますと、手宮線の踏切が見えて参ります。
そこで・・・あの匂いが・・・
当時、運河は未だ実用されておりまして、現在の運河プラザの前は細い道路が一つ、その先は運河でした。
その運河沿いを西へ折れて・・・
が、暑さと匂い、そしてお江戸程では無いものの、べっとりとした湿気・・・
周囲は工場と倉庫ばかりで、清涼飲料水の自動販売機すら見かけないのです。
初めて通る道ってぇヤツは、どうしてあんなに長く感じるんでしょうねぇ。
その7年後にはチョロチョロと通勤で使うなんて、思ってもみない事でしたが、とにかく歩いて参りました。
さて、北海製罐の工場を過ぎて、運河も途切れ、一度バス通りへ戻りまして、中央バスの手宮ターミナル前から手宮公園の崖を横目に・・・と、国鉄手宮駅の建物の間からレンガ造の扇形庫(手宮3号庫)が見えて、目指す北海道鉄道記念館へ到着しました。
と、国鉄小樽築港機関区と書かれたダブルキャブのトラックが一つ停まっておりまして、旧荷物ホームに人影がありまして、ふらふらと誘われる様にそこへ・・・
独特の菜っ葉服と言われる検修職員の制服でおられた5人程の方が、傍らに腰を下ろして一服しているのです。
小生は学生アルバイトとは言え国鉄勤務2年目、つい親しさも出て声を掛けました。
「これ、未だ走れるんですか?」
即答でした。
「走れるよ、未だ未だ、SLは部品を取り替えて、ちゃんと御守してやれば、何ぼでも動くんだぁ。」
衝撃的でした。
「これ、日本一大きいんですよね?」
「いや、ほれ・・・山口でも走ってるべゃ、あれはこれより古いSLなんだぁ、まぁロクニは手は掛かるが・・・」
別の方が、
「でもほれ、3号機は手を掛けない、言う事ちゃんと聴いたべゃ。」
「そうさなぁ・・・これは妙に言う事聞いたなぁ。」
なんて・・・
「こんな大きいのが、走るんですか・・・」
「いや、走ってたんだ、この間までなぁ、それも重連で・・・あんた若いから知ら無ぇか?」
「コイツの直ぐ上がツバメのマーク付けてて、そしたら京都に持ってかれたんだぁ、けどな・・・」
タバコの火を消した、初老の方が続けます。
「2号機ってんだけど、これはますまず手間を掛けてなぁ、引き受けた方が苦労だでぇ。」
と一同爆笑。
ところが・・・彼等がSLを見る眼、それはどこまでも澄んで、どこまでも暖かいんですね。
何か、機械を見る眼では無いんですね。
それを言ってみますと、
「ああ、手間掛けた仲間だもんなぁ、SLは特に生き物、人間に近いなんて言うしょや。」
確信したのです。
彼等は確実にそれを機械では無く、戦友として、命の有るものとして接しているのだ、と。
「今はちょっと寝てるみたいなもんだ。時々な、こうして見てやるんだ。」
生きている。
いや、生き物だったんだ。
なら、この・・・いや、彼が走っているところを見たい。
「SLの女王なんて言うマニアがいるべさ、蒸気機関車は男だ。へそもあるしチンチンも付いてる。」
えええっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!
「俺達のより、ヨッポド立派だぞ!」
鉄道屋は人懐こいし、口は悪いし下品も入る、酒が好きで、そして腹が綺麗、なんて言われた事があります。
まさに彼等は・・・C623機も含めて、そんな鉄道屋なんですね。
全長21475mm
全幅2936mm
全高3980mm
運転整備重量145.22t
動輪周馬力1620ps
まさに怪物です。
「これが走ったら・・・凄いでしょうねぇ。」
「8年前(昭和48年9月30日)までな、走ってたんだぁ。」
「ここに来て、未だ4年(昭和52年4月21日にここに設置されて公開されています。)だものなぁ。」
「俺達ももういっぺんは、見てぇなぁ。」
「それも重連、な。」
「特にこの3号機は何度もスクラップになるのを逃れてなぁ、ちゃんと自分を生かす・・・自分の為の人間を引き寄せてくんだよ、不思議だよなぁ。」
その瞬間、この145.22tが自力で走る姿・・・それにすっかり取付かれてしまいました。
午後の太陽は依然として強く、ロクニも彼等も北海道鉄道原点標と、その傍らのクロフォード像と共に全部が眩しく輝いておりました。
ここが小生の蒸気屋の原点です。
そして今でも、その時の夢と感激と感動は忘れられるものではありません。
7年後、小生は吹雪の小樽築港機関区で自力で走る走将C623機を、この眼でちゃんと見ました。
8年後、客車を引いて函館本線を征く列車に乗っておりました。
あれから27年・・・今、走将C623機は札幌苗穂の工場でまた眠りに付いております。
ただ、小生ははっきりと感じ続けております。
「我、今是処に再び甦らん、故に夢を信ずる人速やかに集わらんや」
そう呼んでいます。
それは彼の祈りでしょうか。
その祈りが途絶えない限り、夢喰人も絶えず彼の許に集うでしょう。

