ブログネタ:あなたの周りの「未解決事件」教えて!
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未解決の事件、となると池袋の大学生傷害致死事件や、一時期総武・常磐線に頻発した列車運行支障事件なんかが思い浮かぶのですが、自前の迷宮入り事件としては、何と申しましてもこれが一番強烈です。
弊連盟は、その前身が市民鉄道ファンサークルでした。
が、どちらかと言えば既にボランティアシステムとしての色彩が濃く、確かに単に鉄道ファンの集まりを楽しみたいとするメンバーは、自然に離れて行きまして、閉鎖的な点が多かったのは否めないのですが、他にお手本となる組織や仕組も無く、試行錯誤を重ねるしかなかったのです。
ただ、この任意団体の時代に、自分達が思い描く「理想的な蒸気機関車運行」と、「レールイベントの地元との連携」を主旨として、徹底して「イベント列車」を研究しようってな事になりまして、敢えて多様なスタイルの列車を企画しました。
厳密に言えば旅行主催事業者でない者が、不特定多数の一般消費者に旅行を販売する事は旅行業法の違反になります。
しかし、意思の疎通がある団体なりが、自前で旅行を企画し実施する事は、そこに責任所在が明確であれば違法でも何でも無いのです。
更に無料で招待しても法制上はかなり灰色なんですが、ポイントは「不測の事態に対処する仕組」なんです。
保険は勿論、参加者の身体生命の保護と補償の体制を作る、ここが大きいのです。
警備隊なんて仰々しい仕組がありました我々は、それを充実化させる事でこの点をカバーしたのです。
昭和61(1986)年8月16日、北海道・函館本線札幌~歌志内~上砂川~砂川間をキハ22形式気動車2両でのんびりと・・・実際は全然のんびりなんて出来ませんでしたが・・・・・・この「そらち」号でスタートしたイベント列車群ですが、まぁ一つ実施すれば必ず一つは「事件」が起きるもので、しかしこれは強烈。
当時課題として取り組んでいた企画の意図は「定型ルートによるパーティー列車の商品化」。
つまりイベント列車を短時間のパッケージイベントとして継続的なものに出来ないか、と言う事です。
で、そのシリーズの第一弾として「D列車」、そして続く「Dエクスプレス」として構成したのですが・・・
「DEX」で「デックス」なんて呼びましたが、このDはOneDayCruise(一日周遊)と、Danger(危険)の頭文字・・・ええ、最初は非常にマニアックな危険な人々が集まって・・・ってなパーティークルーズだった訳です。
で、この企画の原型になったのが、以前書きました「足尾エクスプレス」(平成元年3月28日・上野~足尾間往復)なんですが、確か・・・これだったと記憶していますが、御客様のお茶菓子にってんで、日暮里の駄菓子問屋街で色々と駄菓子を買い込んで、弁当や飲料と共に列車に搭載しました。
乗客も乗務員も全部まぁ身内な訳ですから、スタッフだって親しいメンバーのところへ出て行き、お喋りなんかしますし・・・ただ、原則としてで扉を開閉する駅はかなり「警戒態勢」として、一般の御客様が間違って乗ったり(誤乗)、参加者が降りて置いてきぼりとならない様にしていたのです。
更に扉は手動ですから扉警と申しまして、走行中の開閉防止の監視要員を置かなければならないのです。
この企画は在来型一般客車、つまりレトロ客車で実施しまして、4団体合同で組合を作り、そこの共同ってな事だったんですが、復路の高崎駅で乗り遅れがあったんです。
これは直前になって時刻変更としたものがJRから伝わらず、参加者が立ち食いソバを買いに下車したところで起こった旅客事故でして、その混乱でお茶菓子に用意した幾つかを出しそびれてしまったんです。
熊谷駅で追いかけてきた特急「あさま」にご案内され、本来停車しない熊谷に「あさま」を停車させて、無事乗り残しのメンバーを収容し・・・
この段階では、全く手付かずのアンコ玉・・・ボール紙箱に入った20個入りだったと思いますが・・・これが2箱、所在しているのを客務担当者が視認しています。
大宮の一つ手前、宮原駅で通過列車待ち合わせのために停車した時、物凄い数の鉄道ファンがカメラを構えて・・・
これでてんやわんや。
で、大宮でも宮原以上の同様ファンの群れが出現し、この整理やらも乗りこなして無事定刻に発車しまして、荷物のまとめ・・・つまり撤収を始めたのです。
上野まで25分足らず、まぁ手の掛かるものは宮原の手前で片付けておりまして・・・
この編成そのものは、3月25日から使った会津ムーンライトエクスプレスから引き続いて使っておりましたから、この撤収は2本分に相当します。
で、上野に到着し、一息入れて、腐り易い食品関係はスタッフで分けて・・・
この時一人が
「このアンコ玉とか・・・ふ菓子とか、余りましたねぇ。」
「誰も要らないの?」
「もう荷物一杯ですよ。」
と言いまして、それらをパッケージしまして荷物を事務所に運び・・・
その翌日、食品関係で余ったものから処分、としましたら・・・無い。
アンコ玉2箱が無い。
資材が山積なもので、整理すれば出て来るだろうなんて、疲れた体に鞭打って、他のスタッフと共に仕事帰りに整理したのですが、何故か無い。
同じ部類の、ふ菓子や煎餅はあったのです。
一応確認として、
「誰かアンコ玉、持って行かなかった?誰か食べて呉れれば良いのだけれど、荷物確認してみてよ。」
回答は無い、との事で・・・
「そのうち引越しの時に出て来るんじゃ無い、もう「風の谷のナウシカ」状態(「腐海」と言いたいらしい)で・・・」
なんて縁起でもない事を言うものも出て・・・
ところが数年後に移転の際にもやはり、無い。
出羽守様(足尾エクスプレス客務担当・現交通文化連盟役員)、あのアンコ玉、やっぱり行方不明ですよ。


