鉄道マニアに限らず、人間趣味の世界に一度入ると我を忘れるってのが、まぁ人情ですよね。
ところが、蒸気機関車やイベント列車、はたまたさよなら運転になりますと、その数も質もかなり大きく、そして悪質なのが寄って来ちまうんです。
昭和50年代初頭、世間では国鉄が蒸気機関車の全廃を公表しSLブームが始まり、この蒸気機関車喧騒が一段落すると、今度はブルートレインブームへと移りまして・・・つまり、蒸気機関車を撮って歩いた方々が、次の被写体を寝台特急に向けたってだけの事です・・・・が・・・・。
しかし、このブルートレインブームは年齢層を一気に押し下げ、並行して初代ブルートレイン20系寝台客車が新型に移り変わる中で、やはり「失われてゆくものを追う」志向が高く、当時の国鉄もブームを意識して色々なイベントを展開し、近畿地方で蒸気機関車列車を撮影していた男の子が対向列車に気付かず接触して死亡したり、やはり特急列車を撮影していた学生が列車に接触して死亡したりの事案が発生しております。
昭和51年3月31日、北海道室蘭本線追分機関区に残っていた入換用の蒸気機関車が最後のお勤めをし、国鉄現役蒸気機関車全廃となりまして・・・・しかし、そのわずか3年後、昭和54年8月1日には山口県山口線に蒸気機関車列車が観光用として復活します。
実はその間も地道に静岡県の大井川鉄道では蒸気機関車の動態運転・・・つまり、実際に運転させる形で保存活用を進めていたのですが、小さい機関車だったし、ローカル私鉄の話題と言う事で一般的認知は少なかったのです。
その同じ年、映画「銀河鉄道999」(配給・東映/監督・りんたろう)にタイアップして上野~烏山間に「999」号が二日間走り、沿線は大賑わいとなりました。
この頃から少しづつ過激なマニアが集団化し始めます。
昭和57年11月14日、東北及び上越新幹線の大宮暫定本格開業で、上野駅を出入りする名門列車と、首都圏に残っていた高崎線1往復・常磐線3往復の在来型一般客車による列車が全滅するものとなり、上野・大宮駅はかなりヒートアップしたマニアが群れで現れました。
これを「防圧」すべく、それまで「警備班」と呼んでいたボランティアチームを、北海道鉄道研究会の所管として「鉄道輸送警備隊」を編成、常設設置しまして、我々の「過激マニアとの仁義無き戦い」が始まるのです。
「そこ退いてっ!」
「邪魔だよ!、邪魔!」
なんて罵声が飛び交う・・・それに並行して、駅構内で堂々と自分が撮影した写真を販売したり(鉄道営業法違反なんですが、この一部は組織的にそれをやっていたのです。)、小学生のファンが高校生位のマニアに金銭やカメラを脅し取られたりの犯罪行為。
当時、上野駅勤務の者が大半だった日本トレインクラブ・北海道鉄道研究会の我々メンバーは、聖地とも言える職場をマニアが荒らしている感覚がありまして、とにかく激怒しました!
更に、時折被害者の小学生達が泣いて困っているのを見掛けると、この怒りは更にヒートアップします。
この後くらいから、鉄道マニアの犯罪ってのがとにかく目立つ様になります。
警備隊では普段からそんな情報に対するアンテナを張っていたものですから、とにかくその手の情報が段々流れ込んで繰るのでりまして、何時の間にか鉄道公安室や警視庁の方々にも情報協力をする様になりまして・・・
で、蒸気機関車復活に参画しますと、自然と「警備保安」の専従チームになってしまう訳でして。
殊に退職や転職を背中に背負いながら、特別な手当ても新会社への残留手形の保証も無いまま、黙々とC623機の修復をしている国鉄職員の先輩達やOBの神様達を見て、触れております。
その神聖な精神と誇りを、単なる鉄道マニアの自慰の為に汚されたくない!
更にその行為が悪質です。
以下に列記致しますと・・・
撮影の邪魔と言って罵声を浴びせるだけで無く、殴ったり蹴っ飛ばしたりの暴行事案
撮影の邪魔と言って、軌道脇の標識を引っこ抜く、更にこれを搾取する窃盗・列車往来妨害事案
撮影の為と言って、無断で他人の住居や田畑に立ち入り、三脚を立てる不法住居侵入事案
これに加えてマンションの屋上でフェンスを破壊して撮影する器物損壊事案
列車を追い掛けて撮影する為に速度超過で自動車の運転をする道路交通法違反事案
沿線や駅での職員及び警備員・警察官を威圧或は暴力的発言で排除する鉄道営業法・警察官職務執行法違反事案
他のファンに対する金銭や物品の恐喝事案
邪魔した等言い掛かりを付けて他のファンの所持品を破壊する器物損壊事案
切符を偽造或は運賃を不正に踏み倒して列車を利用した有価証券偽造・詐欺・鉄道営業法違反事案
爆弾を仕掛けた等電話をし、列車運行を支障させた威力業務妨害事案
各種掲示物や鉄道用品の販売も含めた窃盗事案
って、単なるテロリストですわ。
北海道・C623機の場合、人数は2万人まで届かないものの、とにかく濃度の高いファンが集まる事が予想され、これに比例して「テロリスト」達も増加すると予測したのです。
我々の北海道での初戦は国鉄最後の日・・・有志だけで小樽へ出掛けて、奇跡の瞬間に立会い、既に顔見知りとなっていた職員さん達と構内試験走行のC623機の警戒防護をしていたものです。
そこに出ていた全員が国鉄を目指して、そして国鉄に入れなかった者でしたねぇ。
まぁ皮肉な事です、それがJR発足イベントでもあったんですからね。
実際には沿線警備は札幌等の北海道鉄道文化協議会付属ボランティアが付いたのですが、報告と現実が大きく異なっておりまして、この付属ボランティアは警備と称して自分達もカメラを持ち歩いて撮影していたのです。
つまり、危険な現場に防圧しに出るのではなく、自分達の撮影計画で動いていたものでして・・・
ただ、全部が悪いと言うものでも無く、撮影の名所なんてぇ場所にはやはりファンが集中し易いので、そこで安全確保をしながら監視する、と言うのは、「敵の行動を把握する」と言う戦略的にはとても理に叶ったお話なんです。
しかし、これを殆ど現場に出たメンバーが行っていて、更に一部は後日、自分達は公式ボランティアだから、と言って立ち入り制限区域などで撮影していた、本末転倒な事案まで発生して行くのです。
北海道鉄道研究会鉄道輸送警備隊は、何と申しましても「列車添乗」が主務でして、御客様との応接が忙しくとてもカメラを構えてってな気分にならなかったそうです。
小生は指揮官ですから、そんな事よりも
「定時確保・・・無事故完遂っ・・・・」
と題目のように唱えて歩いていたと後年言われました。
無論、このC623機でも沿線に立ちましたし、この後の昭和63年12月のD51498機によるワゴンリ(オリエント急行)運行での上野・大宮での警戒や、翌年の会津・磐越西線でのD51498機運行でもデシャバリまして・・・
オリエント急行の時には大宮で掴み合いとなりました。
しかし、磐越西線の時には・・・もう戦場そのものでしたね。
初日は単に記録だけね、なんて言ってカメラを担いで出たものの、余りに酷い状態でその日のうちに現場へ挨拶に出向いて、あくまでも監視と記録、ってな事で警戒後方支援を申し出ました。
翌日、やはり撮影ポイント数箇所にファンが集中しているとの情報を聞き、その要点で監視しようぜってな事でチームを二人一組に分け・・・
案外あっさりと終わってしまいまして、翌年にはチームを送り込む事にしてさて次の年です。
陣容6名、2人一組で分けまして、折角取った指定券も断片的に乗り降りし、現場との連絡体制も作って、運転ダイヤグラムを頂き、さて現場へ・・・
小生は一番集中しそうなある踏切に出ましたら・・・職員さん二人だけ・・・しかし滞留するファンはざっと2000人。
相方と顔を見合わせてちょっと笑い、その職員さん達に挨拶してから大きく深呼吸・・・
「よっしゃ~さ~下がってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ええ、上野駅の喧騒で鍛えた声ですもん、良く響くんだそうですわ。
別の現場に移りますと、そのポイントには職員さん皆無、警察官1名臨場のみ。
既に列車との接触限界ギリギリに三脚が乱立し、100人程が殺気立っているじゃ無いですか・・・
これは強制排除!
蒸気機関車ってぇのは運転台の前に長いボイラーがあるもので、見通しが悪いんです、なので機関士さんだって如何にプロだ神様だって言うも、やはり神経尖ってしまうんです。
これだって復活から蒸気機関車に付き合って来たからの経験があるからなお分かる事で、警備員さんがこんな現場では役に立たないってのは、そんな経験知識から警備実施を考えて動かさなければならないから、なんですね。
三脚の群れに近づいて、ここからはダメっと排除しようとしたら未だ高校生位のマニアが飛び出してきて胸倉を掴んで、軽く蹴っ飛ばして来やかっがった。
「何だ今の?蹴ったか、おい!蹴ったかコラ!」
凄い形相でまた特別大きな声で恫喝、これも手、なんですね。
そしたら彼も凄んだ。
で、小生も引き下がれませんわねぇ。
「テメェ、何しに来たんだ、汽車撮りに来たんだろ、これじゃ機関士ゃ転がせないって位に恐ろしいんだ、テメェ一人死んだって、テメェは本望だろーが、機関士は一生それを苦しみ続けんだ、下がれガキっ!」
と、彼は手を離した。
所詮は好きなんですよ、この彼もね。
ただ柔らかくお願いね、なんてぇもんじゃ通じない時があるんですわ。
すると他のファンも三脚を下げだした。
警察官は感心して、
「いゃ~現職(警察官)の方じゃ無いんですか?千葉だと成田(日本の警察官で最強最多出動と実戦経験を誇る千葉県警察本部直轄新東京国際空港警備隊のこと)とか・・・」
いえいえ、民間人ですわ。
ただ、その関係の方にご指導は随分頂きましたね。
後日、このマニア達に嫌がらせや、二度ほど暴行にも遭いましたが、こちとら気軽にボランティアはやっておりません。
何と言っても気合が違いますわ。
で、この日の夜に宿へ東北地域本社運転部運用課長さんが自ら差し入れを持ってお出でになられて、早速現場に警備対策の要点をまとめて尋ねて参りました。
翌日の運転前にご挨拶を申し上げますと、
「いや、伺いましたよ、まるで戦国の武将の様だったとか、感謝します。今日も怪我無く、宜しくお願いします。」
と・・・いや、本当に感激しました。
これで士気が上がらない訳も無く、この日、鉄道輸送警備隊の怒鳴り声は、吹雪の会津の山々に・・・
これが小生が「安房守」と名乗る原点です。
後々調べていたら、戦国時代、芦名家と伊達家が激戦を繰り広げた戦場が、まさにその現場だったんですね。
その武将の血ってのが、呼び起こした・・・いや、記憶を取り戻したのやも知れません。
