人偏に言うと書いて、信。
「無疑曰信」(むぎわっしん、疑い無くを信ずると言う)
仏典に出て来る言葉ですが、そうなりますと信じるとはまぁ、エライ大変な事です。
「アナタの事、私・・・信じているからね。」
なんてドラマにゃ良く使われる台詞ですが、実はそうは言うものの、
「な~んて言ったけれど、野郎・・・浮気なんてして無ぇだろ~な~」
なんて、遠距離恋愛か単身赴任か・・・そんなシーンで使われると、実は女性にゃそんな心の声があったりします。
で、この段階でアウト!なんですね。
信じるとは、疑いが無い事・・・え~大丈夫かな~?なんて、?が付いた時点で疑っているんですね。
自分を信じて・・・なんて、これも歌詞には随分登場しますが、実際はどうですかぇ?
自分がいい加減だったり、適当だったり、他人は誤魔化せても自分は誤魔化せないでしょ?
単に漢字の構成だけなら、凄まじく適当な印象なんですが、深意として受け取るべきは逆なんでしょうねぇ、つまり・・・
「言葉に人間性そのものを懸けて行うもの」
ってな事に・・・
いい加減極まりない小生は、信じるって・・・いゃ~凄く難しいことです。