恋愛は楽しいですか?
実際のところ、小生は不器用でございまして、どうも一つの事しか出来ない性質なんであります。
人並みに女の子に恋をした事もあり、デートに誘ってみたりした事もあり、ただやはりキャラクターセッティングが三枚目になっちまっておりますんでね、デートったってちっとも色っぽい事なんぞありゃしない。
笑わせてしまうんです、それが一番楽なんでね。
で、結果論として、
「本当に、貴方は良い人だよね。」
と言われて、どうも恋愛対象枠から外されるんですね。
そんな小生も人並みに女性と接吻なんぞしましたのは、27才の秋。
周囲には生意気にも中学生で体験なんて不埒な野郎も居たのに、ですわ。
実は一部の友人たちは、
「安房はよぉ、あれ、男が好みなんじゃねぇの?」
と、真剣に心配して、
「今度、吉原(個室型特殊浴場の多い台東区の一地区。いわゆるソープランド)行くか?」
「え?何でぇ?」
「おめぇ未だどーてーじゃろ?」
「んなもん捨て置けっ!」
で、一蹴・・・すると安房守男色疑惑が益々深まるのであります。
20才から27才まで、ともかくも忙しい毎日でした。
国鉄・蒸気機関車・ロケ屋・イベント屋・・・何よりサークルが面白かったんですね。
当時、制度上は多々問題があったもので、本当に一部の仲間しか知らなかった事ですが、一時期JRの複数現場に出入りして、イベント列車コーディネーター的なものをしておりました。
こんな日々ですから、恋愛になんぞ目が向く訳もございません。
小生がイベント列車の自力制作・運行なんて悪魔の道に入ったのは昭和61年8月に実施したものからで、それはあくまで「C623機復活」を念頭に、とにかくも「汽車」って奴を徹底して分析して研究して、体験したかったんですね。
が・・・それで得られたエクスタシーは既に普通の人間が満足するものを超越しまして、勿論緊張感も疲労感も凄まじいものでしたが、21才の青年を変態道へ突き進ませるには余りに刺激的過ぎました・・・
さてさて、自分達で企画をし、チャーターし、オーダーメイドした列車に地元タイアップを付けて、警備から接客からトータルで実際にやってみると、確実に視点・脚点が変わっていた事に気付きました。
「どうしたら、御客様が楽しんで頂けるか」
これがテーマになっていたんです。全部のね。
←昭和55年夏頃の常磐線馬橋駅。流山電鉄+485系「ひたち」。
それまではやはり国鉄で飯を喰う事が目標でしたから、何でもがむしゃらでしたが、国鉄新規採用停止=将来の生活の道が閉ざされた時、小生が選択したのは「イベント屋」として鉄道に関る事でした。
それで悶々とした日々を普通に過ごせば良かったし、そうでもすりゃあ、もっと早く人並みの快感も幸福も人生も得られたんでしょうが、その悶々とした抑圧されて臨界まで達していた思いは、もう恋愛なんかに目を向けられる程、余裕のあるものではありませんでしたし・・・で、頭に浮かんだのはC623機だったのです。
それ以来、ただ突っ走るしか無かったですね・・・
で、ある日気付いたのですね、「鉄道」が趣味で無くなっていた事を・・・
休日なんかは全く汽車に関るものから遠ざかる様に、無意識のうちになっておりましたし、第一ギトギトの「鉄」話を友人達としていると、楽しいけれど、疲れるのです。
高校生の頃は、時間を見つけてはオリンパスOM1片手に汽車の写真を撮りに近所をウロウロしていたものですが、C623機本線運転の頃にはカメラを持ち歩く事が少なくなっていました。
模型もメーカー勤務を経て、国鉄納入業者となった頃から私物としてコレクションするものなど無くなっていましたし、小生はどうも趣味人ってぇ柄では無いんですわ。
時折、カメラを構えた鉄道ファンを見ると、羨ましくもなります。
でも、だからと言いましても自分を卑下もしませんよ。
それこそ柄にも無ぇんでデシャバる事もしませんでしたし、第一が情報屋でもございましたから、余り自分の印象を深く留めさせたく無いんですね。
で、あの頃に飛び回ったもので、今日ちゃんと「形」になっている企画はまあまあ多いし、それはどれも自分で基礎計算したものだったり、提案したものであったりして、更にその通りになっていますからね。
銭にも名誉にもならないけれど、汗が形になっている。
これが一番のエクスタシーかな・・・なんてぇ申しますと崇高な人生観を持ったみてぇに、まぁ読めますが、所詮は変態・俗物野郎っては間違いなく・・・
一旦知ったらこれはこれでなかなか・・・ってんで、病気で生き死にするまでの間に女の子とも随分・・・いや、誰もみんなC623機に負けじ劣らずの魅力的なものでしたよ・・・
ああ・・・趣味と言えば、スケベってなもんくらいですかね。