ap2036 ←1988.04.29、小樽運転所にて。横は小生。

常在戦場、臨兵闘者皆陣列在前。


 昭和61年の春に小樽築港機関区C623機の復活の動きがあると苗穂機関区で伺ってから、殆ど押し掛け女房的に加わりました蒸気機関車復活プロジェクトでしたが、それと同時に小生の生活性格も一変しました。


 特に、上野駅勤務時代に短気・粗暴の影が見え出しておりましたが、ロクニに関わる頃には完全な武闘派になっておりまして、幾人かの友人にも親にも、


お前、何だかトンガって来たよね。」


 と敬遠される始末。


 とにかく喜びはありましたが、それ以上に緊張感が異常だったのは本当ですなぁ。


 何せ在来車でいきなり補助機関車も無く、沿線には札幌鉄道ファンの皆さんが札幌在住の医師指揮官に一応張り付いているとは言え、不測の事態なんて「有って当たり前」でしたからね。


 その列車警備添乗の直前、小樽築港機関区の出発式の時に撮影して頂いたものがこれ。


 この直後、トンでもないマニアの謀略事案に関係するのですが、この時点では緊張から胃が痛い状態でした。


 昭和63年4月29日午前8時45分頃、走将C623機と撮影の後、慌てて小樽駅へ。


 当日の陣容は確か3人だったかな、扉開閉と警備が任務でした。


 実際運行列車の警備添乗なんぞ、ボランティアで請け負うところなんかありませんでしたし、第一ボランティアと言葉自体がそんなそんな市民権を得ていたものでは無く・・・・


 で、我々を待っていたのは群集と化した鉄道マニアの群れ・・・


 怒号だけが許された武器で、法的根拠なんか全く無いのに列車運行の定時確保沿線マニアを含めての絶対無事故確保ってのを、全くの無報酬責任オッかぶらされた訳でして、それでも東京から公休取ってやってきた連中は、喜んで動き回りましたよ、それが自分達の「存在意義」であり、「誇り」だし、何よりも「」でしたからね。


 まぁ初日の現場なんて大抵混乱するもんですが、その割にはそれまでにも修羅場は経験してましたんで、道内ボラのみなさんよりは多少活躍したかな?


 それもその筈、この時の派遣隊全員鉄道屋だったんですからね。


 この時には既に鉄道輸送警備隊を名乗っておりました・・・・


 特定非営利活動法人で、機動警備隊抱えて全国荒らしまわったのは、やっぱりどう考えてもウチだけかしら・・・