鉄道路線の起点には「0キロポスト」と呼ばれる三角頭の白い標識が立っています。
新橋駅近く、某テレビ局の本社前にひっそりと復元されたビアホール・・・いえいえ、汐留駅にもこれがございます。
この「起点」から出る列車は下り列車、列車固有の番号「列車番号」も奇数です。
勿論、この方程式に従わないものもございます、千葉県の新京成電鉄は起点が京成津田沼で、下り列車は松戸から・・・なんて事になっています。
しかし大抵は「0」は起点でして、どの軌道もそこから始まっています。
東北本線起点3.4キロに位置する上野駅。
ここは小生の人生の0キロポストです。
この変態鉄道野郎の「鉄道人生」は昭和55年5月2日の15時に始まりました。
高校受験の時、突然父親があの世にいっちまいまして近所の新聞屋に住み込みの丁稚奉公に入り、まぁ元々が出来の悪い頭なものですから、立派な成績なんぞ得られる筈も無く、鉄道員になりたかっただけでもありまして上野駅前の某鉄道系高校を志望しました。
教師は公立は無理、しかしここなら大丈夫とか抜かしやがって・・・しかし一応公立も志願して・・・
で、都内の地図を出してコンパスで測りだします。
友人は
「何してんの?」
「うん、駅から近い工業高校をね・・・」
すると知り合いも居る常磐線南千住駅に近い学校を見つけて、ここにしました。
結果はこの私立に落選、公立は合格。
知り合いの駅員さんに合格発表の日、報告に参りました。
「いや、第一志望はダメでしたよ・・・国鉄職員になりたかったのですが・・・」
「え?未だ出来るよ、高校何処だって我が社(国鉄)は採用するよ。」
「はぁ・・・でも駅でアルバイトでしょうか・・・したかったんですが・・・」
奥で聞いていた助役さんが
「諦めるなよ、管理局の知り合いに聞いてやるよ、上野だろ?確かアルバイト採用していた筈だが・・・」
ってな事で入学式の翌日には国鉄上野駅の学生臨時雇用員に。
で、初勤務がゴールデンウィークの上野駅乗客掛担当の泊り勤務。
凄まじい混雑の中で一息付いたらもう午前0時・・・あ・・・誕生日だった。
はい・・・今日では煩い労働基準法では禁止されている15才の泊り勤務でありました。
国鉄の職員新規採用停止で何だか道を失って、学生アルバイトも廃止されて途方にくれた時、内勤助役OBの方から声を掛けて頂いて委託民間企業へ潜り込んで上野駅の案内所や遺失物扱所に道を得、分割民営化直前にその委託も廃止となって今度は国鉄直営の鉄道模型ショップの下請自営業者に・・・と、小生が上野駅に結果として出入りしていたのは平成元年まで10年。
ここで人間の有様・男の生き様・何より人間の誇りを教えて貰いました。
旅客鉄道になって、途端に軽んじられて今では意図的に重要度を削がれている上野駅ですが、ナメるなよ~上野が人生の起点となっている首都圏の労働者は東京・新宿の比では無いんだぜ!
出発の駅、と言うよりは、何時か「帰りたくなる場所」、小生の父であり故郷がこの上野駅なのです。