実家が福岡で、お墓もご仏壇も福岡にあるので

ご先祖さまへのお参りはおろそかになりがちです。


夫の実家と同じ宗派であるここでは

どんな人でも 申し込めて、法要をしてくださるから

『行って、ご先祖様をお参りしなさい』

とある方にうかがって以来

特別信仰心があるわけではないのですが、

ここ四半世紀、ここへの

春夏のお彼岸会 のお参りは欠かしたことがありません。



東詩子ねえさん  ~ ニュートラルでいく ♪ ~-__ 1.JPG__ 1.JPG


東詩子ねえさん  ~ ニュートラルでいく ♪ ~-__ 2.JPG__ 2.JPG


お彼岸の間は、

毎日、だいたい30分おきに お経が上がっています。

(お彼岸以外もあるのかもしれませんが

お彼岸にしかいったことがないもので・・・・)


申し込み順に

よばれて

ご本尊の前にあがり


でお経をあげていただき

お供養をしていただきます。

(一緒にお供養すると言うのが正しいですね)


お坊様が一人の時もあれば

2~3人の時もあれば

10数名の時もあれば

いろいろ

そのときのタイミングでお経も違うようです。

(お経はわかりませんが、なんか節回しで違いを感じています)

(タイミング → 東詩子ねえさんのお参りの日時が毎回マチマチだからです)


普通15分くらいお経があがります

その間に ご焼香をして おしまい。

別館では ご説法がありますのでお寄りくださいと

アナウンスは受けるのですが

その後の ランチ も楽しみの一つのなので

うかがったことはありませんでした。

年に2回、 とりあえず 手を合わせに行く

という感覚・・・といっていいかもしれません。


そのうち 別館でのご法話のほかに

本堂前の階段のところで 

気楽なお話会が催されるようになりましたが


それもスルー してました。

そういう人がほとんどのようでした。

今年は 日蓮上人750回忌と

特に 震災の後 心の世界として

仏教の在り方、門徒さんたちとの関わり方も

見直しされているとききました。


これまでは 

お経の後 普通は「お気をつけてお帰り下さい」の

ご挨拶でおわりなのですが

今回は

その最後のごあいさつの前に、

短いご説法がありました。


とっても若いお導師さまでしたけど

わかりやすくお話ししてくださいました。


・・・・・・・


彼岸は あちらの世界、 極楽浄土

此岸は こちらの世界  現世


此岸から彼岸にわたるのが 往生


あちらの世界に いらっしゃるのが阿弥陀如来で 


阿弥陀如来様はこの世のすべての人に手を差し伸べて

極楽浄土にすくいあげてくださる方

すべての人をすくい極楽浄土に送ること、

それが阿弥陀如来の大きな願いであると


阿弥陀如来様のお姿は観えないしお声も聞こえないけれど

彼岸からいついかなるときも手をさしのべていらっしゃる

その目にも見えず、声の聞こえないけどいらっしゃる

ということをわからせてくださるのが

私たちのご先祖さま・・・


ご先祖様たちはみな 阿弥陀仏の御許にあり救われている。

そのご先祖様に思いをはせることこそが

仏縁につながる道であること


私たちが今ここにいること、無事暮らしていけていることに

感謝の気持ちをもち、ご先祖様に伝えることが

阿弥陀如来様につながることである。


ありがたいな、おかげさまだな、もったいないなの気持

それこそが

南無阿弥陀仏 という お念仏なのです・・・云々


・・・・・・・・・・・


いろいろ端折りましたが

だいたいこのような お説法でした。


なるほどだなぁ と思いました。

そういえば これまで 南無阿弥陀仏の意味すら

説明してもらったことなかった気がします。


あったのかもしれませんが

法事で、お経の後ご説法があっても

あまりにも印象に残っていなかった気がします。



仏教だろうと

キリスト教だろうと

ヒンズーやイスラムでも

きっと 

アプローチが違うだけで

根っこのところは

きっと いや絶対に同じなんではないでしょうか???




往生を考える = 今をいかに生きるかを考える こと


その今を 幸せに生きる 『キーワード』 は

『 ありがたい、 おかげさまで、 もったいない 』


かもしれない!! いやそうに違いない!!



750年もの間 うけつがれてきて

今に在るのだがら

そこに 真実が在るにちがいない、と思った お彼岸会でした。