昨日、
それを言うにふさわしい人= 言うことで幸せにしてあげられる人
になれるよう
東詩子ねえさんももっと自分を磨いていく ・・ほどほどに !
と記しましたが、
磨くなら磨くぞと、一生懸命頑張って磨かないの?
と思った人もいるでしょう。
なぜ 『ほどほど』 と言ったのか?
それはね、
ニュートラルを目指す東詩子ねえさん自身としては
誰が言ったかではなくて
何を言ったか、
(もしくは、何を 自分が 聴いたか)
メッセージの本質 の方が 実はもっと大事なんじゃないかとも
思っているからなんです。
誰が言うかで、受け取る側の 重みというか有難みが違ってくる
というのは、たぶん、世の中のマジョリティな感じ方だと思います。
だから、人を幸せにできるように
言うことで幸せにしてあげられる`人柄’を目指す!
と思っています。
でも、
誰がいっても
大事な言葉は大事だし
有難いものは有難い、
自分が受け取るメッセージには意味のないものはない
と思ってもいるのです。
人の価値を その人の地位とか実績などでなく
判断できる人でありたい。
いや、価値のない人などいないのですから
人としての魅力を
どんどん見出せる人、引き出せる人でありたいのです。
これは 受け手側として目指すところではあるので
発し手側として 自らの価値を上げることと
受け手として目指す姿勢として
矛盾は無いようにもみえそうです
が
心の根っこの部分のところにいくと
どうなんでしょう?
何事も、一生懸命過ぎて
どこか 一方に偏って、大切なことを見誤りたくないのです
どこがに 余裕をもっていたい・・・・
それには
ほどほど が いいんじゃないか
そう ニュートラルで行く♪ なのです。