ある方が 


「しあわせと満足の違いって???」 

考え込まれていました。 


≪ 満足(みたされている )= しあわせ  ≫


とは限らず


≪ 足りていないことが= 不しあわせ  ≫


とは限らないですものね~~。


そこで、東詩子ねえさんもちょっと考えてみました。



このブログで短い文章にするにはかなり大変なテーマですが


トライしてみようと思います。




満足したから、しあわせ ってこともありますし

しあわせが感じられて満足 ということもあります。

また、

不満な状態でも しあわせ って感じられることもあれば

満足な状態でも ちっともしあわせでない 

と感じることもあったりします。

これは、個々人の感性・心が決めることなので

 

東詩子ねえさんにとって、ということで

『「しあわせ」と「満足」の違い』 を考えてみました。




すると 東詩子ねえさんは、


満足かどうかを考えている時の物差しと


しあわせかどうかを感じる時の物差しは


違うことに気付きました。



どうも



満足かどうかは、頭(理性)にある何かにてらして判断していて、


しあわせかどうかは、こころ(感性)にある何かに照らして感じている


つまり、


満足か不満かは  ある状態の基準に照らし合わせた判断結果 であり、

しあわせかどうかは 感性の捉え方の結果というか 心のありよう のようです。

もっと極端に言うと


満足かどうかは、相対的に判断され


しあわせかどうかは 絶対的に判断されている 


と言えるのではないかと思うのです。





「しあわせ」は, かつて「仕合わせ」とも表記されていました。


仕は動詞「する」の連用形、合わせは「合わせる」の連体形であることから、


自己以外のものに合わせて行くイメージ。


自己以外とは、うまく言えませんが、「神」のようなもの・・・


( * これまた「神」という言葉自体、

     個々人でとらえ方が違うので’ようなもの’と言います)


・・・が自分の中にありそれに 仕合せて 感受するもの。



一方


「満足」は、辞書で引くと「心にかなって不満がないこと」とあります。


つまり、

心が決める規定値に足りている状態をさすともいえます。


その規定値の「値」に対して どの程度満たされているか相対的。




う~ん、なんだかわかりにくくいですね?

うまくいえず申し訳ありません。



では、

どんなときに ということでいえば、


東詩子ねえさんにとって


ある目標値  に 到達できたときが 満足なとき


ありがたい! と 心底感謝できるときは しあわせなとき



だから、もちろん満足できた時はもちろん


不満の時も、未満の時も

ありがたさを みつけられ、感じられれば


すぐにしあわせ になれるってことです。




よそ様からしたら 


東詩子ねえさんの日々なんて


ささやかでたいしたことないし、


ちっとも満足そうでも仕合せそうでないかもしれませんが



ここに『在ること』がすべて



ほんとに 『 在り難い 』 ことだ


と感じられているので 


よそ様に関係なく しあわせ ってことです。


(しあわせ感は 経過が相対的でも 結果は絶対的ってこと)


まぁ、 歳を重ねていろいろ経験し、


つくづく ´ありがたいな~(在り難い)’と思うことが


多くなってきたとも言えます。






言葉で伝えるのは難しい・・・


テーマーくださった方にとって少しでも


違いを考えるヒントにでも なればいいなと思います。





それにしても


満足としあわせの違いを感じているときって


もしかして


「満足な状態なのに、なんでしあわせを感じないんだろう」

とか

「これで十分なのに なぜか満たされないんだろう・・」 


などと 思うとき、ではないでしょうか?


それは、


こころのどこかに もっともっと・・・


って 『 欲 』 があるからだと察します。


でも 


その 『 欲 』 は成長には必要なものだと思うので


大事に みつめて乗り越えられたら いいですよね。


その欲を、満たしたら満足、


そして ありがたいって思えたら


そう それが、しあわせってことなんじゃないか


と東詩子ねえさんは思うのですが・・・


みなさまは いかがでしょうか?