クリシュナムルティは絶対主義者、一元論者、観念主義者、個人主義者、無神論者である。
理論的偶像破壊者であり、伝統、権威、宗教、過去の教祖、聖人、哲人、およびその教え、教団、古典、内面的な心象、神観念などのあらゆるイメージ、目覚めに至る道としてのヨーガや瞑想も拒否し、あらゆる宗教・哲学思想からの解放を目指した。
彼は、「永遠なる目的」=「永遠の幸福」への道の第一の前提として、自分自身の解放(東方の星教団、神智学協会からの離脱)を行っており、周囲の期待を裏切ってでもそれを行った勇気が、彼の信念だった。
彼は「永遠なる目的ということは人生の複雑さから自分自身を解き放とうと望む人にとっては最も重要なものである。その目的は自身の経験、悲嘆、苦痛、理解から生まれてくるものであって、自身の経験以外のものでもなく、自身の経験以外の幻影でもない」と述べている。
真理を見出すためには個人的な感情と経験が最も重要であると考え、「永遠の目的」に達するには、権威に頼らず、何も恐れずに自身を導き、自分で理解しなければなければならないと考えた。
彼は、人は全く独力で、個人の努力で真理にたどり着けると考え、言葉の中に偶像を認めず、伝統や権威を激しく攻撃し、天の観念にすら反発し、いかなる信仰も歴史ある伝統も道徳も、命を縛ってしまうとして否定した。
クリシュナムルティは、「真理の実現、生命の実現は自身の力を通してのみ達せられる」と言って、何らかの道や教師の教えによって達するものではないことを強調した。
これは真理の達成は自我意識によるという意味ではなく、実在は自我意識を超えており、自我意識は真理を実現する「方法」に過ぎないということである。
人間は対立のただなかにあり、対立するものは無知であり無明である。
一方、命は対立・二元論を超えたものであり、自身の中にある完全な生命に向かって努力することで、幻想、自我意識は消滅していき、分断・分離している生が全体となることができるという。
「永遠なる目的」を確固として持ち、悲しみや経験を生かしていくと、もはや何も存在せず、真理と合一することができるとした。
無知の中に創造された不完全な存在である「私」が、二元論を超えた完全で純粋な生命を、自身の力、自身の理解によって実現するという理論には大きな飛躍がある。
しかし、彼はこの真理の発見は、「知的理論を超えたもの」「私はほんのお印しか示しえない」、真理の発見において頼みになるものは自分だけであり、最愛のものである自分が全てに通じるとして、哲学的に証明し語ることはなかった。
それが身をもって体現するしかないものであったとしても、その体現についての説明もしなかった。
彼は無神論者で個人主義者であり、伝統や他の権威によらない自身の感情と経験を通しての理解によって、絶対的・永遠なる真理に至るとした。
クリシュナムルティは、人間が単なる環境の産物だともしないが、何か神聖なもの、永遠なものであるとも考えなかった。
しかし、ある条件下において、最高実在が有限になり我と一致(梵我一如)するとした。
実在は意識や自我意識を超えたものであり、唯一の最高実在は真理であり、生命であると考えた。
その発見は、経験であり、合一であり、真の幸福であるとした。
人がもし一度「永遠なる目的」を確立すれば、「それは幸福であり、自由なものであるが、人生が純粋になり、もはや混乱もなく、時間の混乱もない。
(中略)時間を超えたとき、あなたは自由になる。
(中略)人生を自由にすると、幸福が見いだされる。
幸福が唯一の目的であり、たった一つの絶対的真理である」という。
ボームはバークレイに残り1943年に博士号を得るまで物理学を教えていた。
しかし皮肉なことに、彼が確立した(陽子と重陽子の衝突における)散乱計算がマンハッタン計画に非常に有用であることがわかった途端、彼は研究所に登用された。
セキュリティ確認も無いままに、ボームは彼自身の業績にアクセスすることが禁じられ、彼の論文の公開が妨げられるだけではなく、そもそも彼自身が論文を書くこと自体が禁じられたのである。
大学側を満足させるために、オッペンハイマーは彼が成功裏に研究を完了したことを保証した。
そして彼は、オークリッジのY-12施設で濃縮ウランを得るための同位体分離装置(カルトロン)について理論計算を実施し、その濃縮ウランは1945年に広島に投下された原子爆弾に用いられることとなる。
哲学、認知と科学との掛け橋
ボームの科学的及び哲学的視点は分離できないように見える。
1959年、ボームの妻 Saral が図書館でジッドゥ・クリシュナムルティによって書かれた本を見つけてきて、ボームへ薦めた。
ボームは彼自身の量子力学における概念とクリシュナムルティの哲学的概念とが歯車のようにかみ合う様子に感銘を受けた。
ボームとクリシュナムルティは25年以上に渡って、哲学と人間性に対する相互の深い関心を抱く親友であった。
新元号は645年の「大化」以来248番目。
令和は万葉集の梅花の歌、三十二首の序文にある「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」から引用したものであります。
安倍首相は昼の記者会見で、改元に関する首相談話を発表し、新元号「令和」について、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と説明した。
万葉集を選んだ理由としては、1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であることを挙げ、「豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書(日本で書かれた古典)」だと述べた。
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