★歴史学No.319
十国
ここで時間を戻して、北漢以外の十国の興亡を説明する。
十国の中で最も強大なのは、中国でも最も豊かな地帯に拠った呉であった。
建国者・楊行密は群盗から身を興して、揚州一帯を制圧、一時は北の後梁と互角に争い合う程の勢力を誇った。
しかし呉では楊行密の死後は配下の徐温の力が大きくなり、最終的に徐温の養子・徐知誥によって簒奪される(937年)。
徐知誥は簒奪後に名前を変えて李昪と名乗り、唐の後継者を自称して国号を「唐」とした。
後世の歴史家からは南唐と呼ばれる。
同時期に南の浙江では、呉越が勢力を張った。
建国者・銭鏐(せんりゅう)は塩徒(塩の密売人)から身を興し、浙江一帯を制圧した。
北に強大な呉・南唐と対峙していたので、常に北の五代諸国に対して臣従することで、呉・南唐に対抗していた。
呉越の南の福建では、節度使・王審知がこの地を制圧して閩を建てていた。
王審知は内政に努め、福建の生産力を飛躍的に向上させた。
しかし王審知の死後は内紛が起こり、そこに付け込んだ南唐によって945年に滅ぼされる。
西に目を向けると湖北には荊南(南平)、湖南には楚、広東には南漢が割拠していた。
荊南は十国の中でも最小の国で、周辺諸国全てに対して臣従して交易の中継点として栄えた。
楚は茶の貿易で栄えた国で、建国者・馬殷の在世時には経済的に大いに奮ったが、死後の内紛に付け込まれ、951年に南唐によって滅ぼされた。
南漢の統治者の劉隠はアラブ系と言われており、その宮廷では戦乱の五代十国では珍しく文官の力が強かった。
しかし後期にはその政治も堕落し、宦官政治へと変質した。
四川は揚州と並んで豊かな土地であり、「天府」と称されていた。
ここに割拠したのが前蜀・後蜀の両蜀政権である。
前蜀の建国者・王建は元は塩徒だったが、四川に入ってここを制圧し、当地の豊かな物産を元に文人の保護や経書の印刷を行うなど文化的施策を行った。
前蜀は925年、後唐によって滅ぼされる。
その後、この地の統治を任された武将・孟知祥が自立して934年に後蜀を建てた。
後蜀は前蜀と同じく文化振興に力を入れ、特に唐末期からの詞を集めた『花間集』の編纂はこの時代の文化を伝える上で大きく貢献した。
中原の五代王朝は旧唐王朝の版図の6割を押さえていたが、国内情勢の不安定さに加えて契丹などの外敵も抱えており、十国の平定に乗り出せる状況ではなく、不安定な勢力の均衡が保たれていた。
だが、五代最後の後周が荊南・南唐領の侵食を始めると、その均衡は一気に崩壊することになる。
【黄金主義】―安東恭助
力のある1人がなくなると、内紛がすぐ起こるものである。
次の徳のある支配者が現れるまで、内紛を抑えれるシステムを構築できている事が国の発展に必要なのだろう。
これを考えると海外からの闇勢力を遮断し、貿易の利益をすいあげて国を安定させたのだろう『鎖国』や、日本国内で力を持ち転覆をはかる者の財源を制限し動乱をおきないようにすると同時に、諸藩のお殿様のお金がばらまかれるようにし日本国くまなく経済が活性化していくようにしたと思われる『参勤交代』などによる徳川時代300年は凄いものである。
『鎖国』に関しては、下記の事を考えると、フランシス・ザビエルがローマ法王に日本人は頭が良すぎるので抹殺すべきと書簡を送ったとされる事や、カトリックが日本人女性を恥部をさらけだされて奴隷として売り飛ばしていた事への江戸政府の怒りと日本人を守るための政策であった可能性の方が高かったのではないだろうかと思われるのである。
歴史を勉強する時には、一般的に正当とみなされている勝者側からの歴史だけでなく、敗者側や闇に消された歴史も勉強しないと、ニュートラルな立ち位置から見れる誠の歴史を知る事ができないし、それから得られる誠の解決策は生まれないと考えている。
闇組織による日本国抹殺計画はまだ続いている事を日本人はよく知っておくべきと思われる。
✳️当時海外布教を積極的に行っていたキリスト教勢力は、キリスト教の中でも専らカトリック教会であり、その動機として、宗教改革に端を発するプロテスタント勢力の伸張により、ヨーロッパ本土で旗色の悪くなっていたカトリックが海外に活路を求めざるを得なかったという背景がある。
一方、通商による実利に重きを置いていたプロテスタント勢力にはそのような宗教的な動機は薄く、特に当時、スペインからの独立戦争(八十年戦争)の只中にあったオランダは、自身が直近までカトリックのスペインによる専制的支配と宗教的迫害を受け続けたという歴史的経緯から、カトリックに対する敵対意識がとりわけ強かったことも、徳川幕府に対して協力的であった理由と言える。
とは言うものの、中国に拠点を持たないオランダやイギリスが直ちにポルトガルの代替にならない以上、ポルトガルとの交易は続けざるを得なかった。
なお、キリスト教に関しては、単に国内で禁止するだけでなく、海外のスペイン・ポルトガルの根拠地を攻撃する計画もあった。
当時オランダ商館の次席であったフランソワ・カロンは1637年9月、長崎奉行榊原職直に対して、日蘭が同盟してマカオ、マニラ、基隆を攻撃することを提案した。
その後まもなく長崎代官の末次茂貞は、商館長のニコラス・クーケバッケルに対し、翌年にフィリピンを攻撃するため、オランダ艦隊による護衛を要請している。
しかし、この計画は翌年の島原の乱で立ち消えとなった。
【1人知性連合会議】-議題981
✳️11月16日、米中央情報局(CIA)が、サウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏が、トルコのイスタンブールにあるサウジ総領事館で殺害された事件は、「サウジのムハンマド皇太子が殺害を命じた」と結論づけた。
✳️パレスチナ自治区ガザでイスラム組織ハマスとの停戦に応じる決断を下したイスラエルのネタニヤフ首相が、連立与党内からの反発で窮地。
11月14日、極右与党「わが家イスラエル」の党首、対パレスチナ最強硬派のリーベルマン氏は、停戦受け入れの判断を「テロに屈した」と厳しく批判。
11月16日の、8議席を有する別の極右与党「ユダヤの家」党首のベネット教育相と今後の政権運営協議も不調。
また、ネタニヤフ首相は最大与党の右派リクードの党首だが、対パレスチナ強硬派が多い。
【安東恭助解答】
世の中では残虐な事がまだ続いている。
世界中、極右だらけにされて、イスラエルがそうなれば、聖書を脚本のように扱う極右が、聖書にかかれているようにハルマゲドンをゴラン高原で起こす可能性がかなり高くなってきたと言う事だ。
人間は氷河期が長かった時代に、簡単に取れる食料は人間であったので、人間が人間を食べていたのである。
前頭葉の働きがにぶれば、この本能が出てくる可能性が高い事をしらなくては本当の歴史を考察する事はできないのである。
人間が人間を食べてはいけないと決めたのは『周王朝』からだと思っておいた方が良い。
儒教の孔子でさえ、赤ちゃんが食べたいと、出された赤ちゃんを美味しくと食べていたような文書も見られるのだ。
日本国は、周王朝の人間を食べてはいけないと決めた思想が入ってきて定着しているのであり、海外諸国の人間の頭の中はどうであるのかわからないと日本人は理解して、用心しておいた方が良いのである。
つまり、人を殺したくてたまらない人間も結構多いのかもしれないのだ。
だから、戦争がなくならないのだ。
人間が滅ぼうとしている地球で、さらに、繁栄していくためには、人間は、脳が一段発達した、『黄金主義』のような哲学を基盤に、新人類に進化しなくてはならない時期にきているのかもしれないのだ。
その時、克服しなくてはならない、最大の敵は『嫉妬、ジェラシー』であると考えている。
であるから、『資本主義』➡︎『黄金主義』に変革しなくては戦争がなくならないのは、『心理学的な観点』から見れば当たり前の事なのである。
★ノストラダムスの大予言★
サウジアラビアがトルコで行ったような残虐な事件が、フランス北部の僧院で、フラマン人が騙されて殺人事件が発生する予言のようだ。
2人の息子も警備員も殺されるというかなり悲惨な事件が起きるようだ。
✴︎サン・カンタンは、フランス北部、オー=ド=フランス地域圏エーヌ県にあるコミューンである。
県庁所在地のランよりも人口が多く、県内最大の都市である。市名は、3世紀に殉教した聖カンタン(クィンティヌス)に由来する。
✴︎フラマン人は、北フランスやベルギーに起源をもつ、オランダ語を話すゲルマン民族である。
主にフランデレン地域(フランドル)の北部にみられる。
ベルギーの二つの主要民族の一つであり、もう一方はフランス語を話すワロン人である。
「フレミング」とも呼ばれるかれらは、ベルギー住民の多数派(人口の約60%)を構成している。
歴史上、「フラマン人」〔フランドル人、フランデレン人〕とは中世のフランドル伯領の住民を指し、トゥルネー(今日ではワロン地域)、リール、ドゥエー(今日ではフランドル・フランセーズ)あたりの地域の、ワロン・フラマン人とも称されるフランス語を話すフランドル人やピカルディ語を話すフランドル人も含んでいた。
✳️『カンタンの森の中でだまされて、フラマンが僧院で刻まれるだろう。2人の息子は殴り殺され、続いて窒息で警備員はおしまい。』
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②『歯美ing』➡︎形、意匠を変えるだけで歯ブラシの概念を変革する事を証明した革命的商品になるでしょう。
知連のやるべき発明やアイデアの参考へ。
アメリカ有名大学教授も良い新しい発想の歯ブラシだと述べている。
歯肉炎の出血がすぐ止まったと患者さん達から絶賛。
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