― アダム・ヴァイスハウプト
抑制と中庸とお教えてくれる道徳教説のみが、この不信状態を解消しうる。
この社会には明らかな本質的欠陥があり、公的機関はまったく無力である。
ただ、完全に道徳的人物は災いを生き延び、子孫を残し、権力を増強し、おのれの退場を全うし、フェニックスのように永遠に若返り、不死身の敵に対する不死身の対抗者になる。
【黄金主義】―安東恭助
アダム・ヴァイスハウプト君はなかなか鋭い頭の良い人物だったと思われる。
この社会に本質的欠陥があり、公的機関が無力である事を見抜いていた。
私は、その本質的欠陥が本質的資本主義欠陥から来ていると見抜き、それに従う公的機関は資本主義の奴隷なので何もできないのは当たり前だと気が付いていた。
「そもそも、物質であるお金を人間以上に敬い、そのシステムの中で生きなければならないという事は、偶像崇拝と同じだ。」と気が付き諭す人間が世界中にほとんどいない事に我々の頭の程度を疑ってかかる必要があると言っているのです。
私は西麻布最大の暴漢事件から生き延び、企業を縮小退場する事もしてきた。
しかし、道徳的人間ではないし、時によっては悪党になる可能性も秘めているし、権力も増そうとも思わないし、その能力もない。しかし、危機に瀕しても、マングース的なフェニックススタイルは持っているかもしれない。
『人間界をうまくバランス良く整えるための道徳』ぐらいの地球平面レベルの考え方
は間違いで、『お天道さまに向かって誠の精神』という広大な宇宙の中の点のような地球を俯瞰的に見る立場で考えろと言っているのです。
西洋哲学のカントのように、暴漢に教われても嘘をついては、皆が例外だらけの嘘をついても良くなり社会バランスが崩れ、道徳が守れなくなるから絶対にだめである等の地球人類間感情論的な小さな世界で考えるのは間違いだと言っているのです。
広大な宇宙のバランスから考えれば、今は暴漢に襲われて殺されそうだらか、嘘をついてでも悪党になってでも逃げれば良いのです。生き抜く事が大切なのです。その逃げて命拾いした私はフェニックスのように、再度バランス崩した連中に大きな反撃を食らわしますけどね。大きな世界から考える必要があると言っているのです。
つまり、『道徳』より『お天道さまに誠の精神』は次元が数段、後者の考えの方が上なのであります。
また、この世は相反する2つで1つのバランスをとるので、不死身の敵が強くなればなるほど、不死身の対抗者も強くなるものだと思われるのです。
お互い、やり過ぎないように、程々のあたりに結論を落としていきましょうよ。
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