兼愛・非攻の思想は、まさにこの時代に再考しなければならない思想だろう。
なぜすたれたかに関しては、この春秋戦国時代に別愛の方が理解しやすく、キリストのような兼愛は時代が早すぎたのかもしれない。その時代の流行は全て正しいとは限らないと思う。例えば、ジャニーズやAKBが古代に結成されていても、テレビやラジオがない時代なら、川原でチャリ銭もらっていたかもしれないのである。
つまり、墨子思想は早すぎて、生徒の頭がそこまで進化してなかったのだ。
親や兄弟を他人より大切にしなさいというような戦国時代では別愛は一見正しい用な気がするが、私の「黄金主義」では、私が資本主義どっぷりにいきてきて誠の精神のない親をバッサリ絶縁したように、まずは親や兄弟である前に人間として誠の精神があるか、自立している大人か、人間として失格ではないのかを吟味した上で大切にするか決めなければならないと説いているのである。
例えば、虐待して子供を殺そうとしているその親を別愛として他人より大切にその子供が大切にしたら、その子は、動物虐待か幼児虐待か自殺するかヒットラ-になるしかないのだ。つまり、間違った別愛は争いや戦争を起こすのである。正しい別愛は他人より、人様を沢山助けたり、小さな世界でも他人より良い素晴らしい誠の精神で生きた親や兄弟ならまだわかるのである。その前に自分がニュートラルに人を裁く能力があるか疑ってかかった方が良い。そう考えると確率的に兼愛の方が別愛より世界を平和にできると思われる。しかし、「黄金主義」では、兼愛でも、自立できてない大人、誠の精神のない人間に、兼愛するか考えた方が良いと説いている。つまり、別愛、兼愛、の前にお天道様に向かって誠の精神の人間であるかそうでないかが大切だと説いているのである。
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