総選挙公示ですね。
私は卒論で代議員制民主主義は擬似的な民主主義制度であると唱えた異端者ですので、この世界のことはとんと疎いのですが、アレでしょ。有権者の皆様にあってはまた人気投票とか縁故投票とか、駅で立ってたから投票とかやっちゃうんでしょうな。で、そういうのを狙っている候補者の皆さんの舌の根などを考えると、実におぞましいですよね。
時は21世紀ですよ。
いつまでこの代議員制民主主義につきあわなければならないのか。そう思いませんか。
実に不自由で、緩慢で、不効率でテンポラリーな制度ですよ。
1票の格差が生じていますって、そりゃ代議員制やってるかぎり、ビタぁーと格差ゼロなんて事務手続きが煩雑で実現できないし、国策に翻弄された、あるいは棄民だ、議員とカネだ、癒着だ、公共の福祉のために権利を「放棄させられた」または「カネで解決した」なんてことはいつまでたっても続きます。
我々は本当の民主主義である直接民主主義制度を見据えなければなりません。
誰もが開かれた議会にアクセスし、私利私欲ではなく、正義と公共のために納得した結論を導く。それが正しい議会制民主主義であり、これを実現できるのは、代議員という「代理人」を通して会話するのではなく、情報通信が発達した、あるいはこれからもっと発達する世界で実現される直接議会制民主主義に他ならないと声を大にして言いますよ。ええ。
今後は代議員制をちょっと冷ややかなスタンスで迎えてみましょう。あまり目くじら立てずに、冷静に。
だってこれは我々が目指す仕組みの前段階の、まあ極論すれば失敗作なんですから。
現在の仕組みは、適正な勢力を拮抗させる国民参加ゲームのようなものだと考えてはどうでしょう。
1勢力を台頭させるとバランスを失い、あまり多くを拮抗させると物事が決まらなくなります。
みんな目隠し。八百長なしで、世間の雰囲気を汲み取りながら、「あえて」投票先を決めるわけです。
「あえて」とした意味は人気投票ではこのゲームは勝てないからです。あまりパッとしないアイツに投票してみたり、ちょっと勝ち馬気味だけど準優勝路線を応援してみたり。
こうすると選挙の当落が「勝敗」ではなく、議会の出したアウトプットの内容こそが勝敗のカギだということがわかると思います。
これを実践して、開票結果でばんざーいなんてやってる本人や取り巻きをTVで見たら、きっとなんだかかわいそうに見えてくるんじゃないですかね。
不謹慎かな?どうだろう。
欠陥のあるテンポラリーなシステムに敬意を払うよりも、テンポラリーな仕組みだからこそ、将来と、実社会を見据えてうまく利用してこその国民主権じゃないの?そう思うんですけどね。遅れたシステムの信奉者はシステムとともに沈んでもらいたいね。
発展的すぎかな。ゆえにブログにでも書いとけってな内容なんですよ。ええ書きしましたとも(笑)

