宮城県大崎市の学習塾、進学塾「あるふあゼミナールのブログ」

天候不順の中で、4月になりました。

間もなく新学期です。


新入学の子ども達はもとより

進級した皆さんも、新学期はきっとヤル気に

あふれている事でしょう。


その子ども達のそれぞれに伸びていこうとする

新鮮な、本能的ともいえる気持ちに

キチンと応えるのが大人の務めと心を引き締めて

行こうと思います。


日々新 という文字を友人の書家からいただいたので

これを軸装にして自宅に飾ってみました。


子ども達の成長は本当に早く、大人はともすれば

その変化を見逃してしまい勝ちなです。


21世紀を生きる子供たちなのです。

成長のいくらかの糧となれるようがんばりたいと

いつもおもいます。


たかだかテストの成績などではなく


本当の智恵と力を身につけて欲しいのです。


勉強なんかで、いじけたりして欲しくないのです。


ガンバレ子供たち・・・・遠慮せずに叱咤激励を

していきたいと思います。


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このブログを一時閉鎖いたします。

このブログは個人的に心に思い浮かぶ

よしなしごとを書き連ねて足掛け4年になります。


この度、個人的な都合とパソコンソフトの都合とに

よって、一時閉鎖をすることと致します。


四年前塾のHPを作ったときにあわせてブログを

併設していただいたのが始まりでした。

ちょうど東日本大震災の前の年の12月だったので、

読み返してみると、大震災の前に、何回かの地震が

あったことが分かります。その頃はそろそろ宮城沖地震か・・

と騒がれていたものでした。


日本における地震などの危機管理体制はその前の

宮城沖地震から始まって、日本海中部地震、そして

阪神淡路地震と続く震災の中でつくられてきたものです。

中越地震で始めて機能したといえるでしょうか。


通信管理や基本的な政府や自治体の危機管理システムは

その中で進歩してきました。


実はそれ以前に、大平内閣の政策シリーズの中で

防災の日を活用しながら日本の危機管理体制を形成しようと

いう試みは明確になっていますが、その想定には関東大震災の

経験を読み込んでいるに過ぎなかったのです。


長く生きてきたので関東大震災以外の全ての震災をそれなりに

体験する事となり、その中で今回の大震災を体験することと

なりましたが、想定のあらゆる範囲を越えた大震災であったので

それまでの危機管理体制が殆んど当初機能できなかったのです。

その全責任は時の政府であった、民主党の責任となりました。

民主党政権はさらに尖閣列島周辺事態にも直面しました。

これも日本にとっては未曾有の自体だったのです。


民主党政権はこの二つの危機管理において、政治的な無能さを

天下にさらす結果となりましたが、別に民主党だけの責任では

ありません。言い方を換えれば政治家の殆んどが与野党を

問わず、事態に追いついていなかったのです。


今回の大震災では震災被害だけでも未曾有の事態であったのに

更に、福島原発事故というこれこそ文字通り未曾有の事態に

直面しました。この事態については未だに全貌を把握する事さえ

出来ないでいるという方が正確ではないでしょうか。


そうした中で今の日本の政治は動いています。


これからの日本を生きる人たちの為に私たちはもっと真摯に

直面する事実をとらえる事から取り組むべきではないだろうか・・


といった想いを抱きつつ・・・しばらくお休みとさせていただきます。

最後に、長い間、アクセスいただいた皆様に御礼申し上げます。



久しぶりの雨です。

このごろこのブログを休んでしまいました。

今日は久しぶりの雨の一日。

この雨が植えたばかりの田んぼの稲や

畑の苗にキッと活力を与えてくれるのでしょう。

庭の植物を見ていると、如雨露で与える水よりも

この自然の雨の後が、植物の勢いが違って見えるのです。

自然すなわち地球の環境にあわせてそれぞれの地域の

植物は生きる知恵を身につけているという事でしょうか。


あちこちの中学校では入れ替わりで修学旅行の

シーズンです。間もなく中総体の地区大会が

始まりますが、この二つの合間を縫っての学習なので

学校によって進度もバラバラで、なかなか先に進みません。


実はその間に各個人によって大きな進度の差が

生まれてしまうようです。


特に中一生はその影響が大きいようです。

いまだにアルフアベットの小文字がスラスラ書けない

ままになっている生徒は要注意と言わなければなりません。

塾に通ってくれている人にも一人いるのですが、

居残り学習までさせて何とか克服して欲しいとこちらも

必死です。その後に続く単語の習得に大きな差がでて

しまうことにつながるのです。


同じように中三では不規則動詞の過去形、過去分詞までの

習得です。しっかりと覚えている人の中で、まだのんびりして

いる人がいるのです。受身形と現在完了形その後に続く

分詞の形容詞用法・・とその差は大きく出てきます。


数学でも同じことが沢山あります。

初めは小さな気がつかないくらいの違いなのですが

実は大きな差になってしまうということがどの教科にも

あるのです。その小さな差が生まれるのがこの一学期

なのですが、テストもないので見逃され勝ちなのです。


春の日の雨のように、植物に活力を与えるような

塾の授業でありたいと思うのです。

今だからこそ、各教科の基礎力を蓄えることが大切なのです。

植物がこの時期、見えない地中で根を張りめぐらしているように。

スピリッツの漫画から放射能論争・・・

突然のように週刊漫画スピリッツに連載されている

美味んぼの内容が話題となっている。

以前は毎週愛読していたのだがこの数年カットして

いた週刊誌なので、今週号を購入してみた。


双葉町の前町長の言が載っているのだが、福島と

広く述べているところが問題となるのだろうが

彼はいち早く町民を埼玉県へと県外避難を

実行したひとである。

双葉町については彼はセシームの半減期となる

30年間は帰る事は出来ないと考えたうえでの行動で

あったと思われる。そしてそれは限りなく真実に近い

ことは、チェルノブイリなどの例をみれば明らかである。


原発事故と放射性物質の放出の影響については

長いスパンをかけて、賛否かどうかではなく、私たちが

真剣に対峙し、検証をしていかなければならない問題で

むしろ今始まったばかりというべきなのだ。

(東電と政府は責任をもって、福島の・・福島だけではない・・

人々の不安に対処する検査医療設備を整えることが

必要であるが・・未だにそこに至りついていない)


理由はハッキリしているのだ。福島の風評被害が増えないように

配慮しているかのごとく振舞いながら、出来る限り過小評価を

振りまく事によって、客観的な事実の把握よりも、際限なく拡がる

かも知れない事故の補償額を最低限に抑えるために腐心している

だけなのだ。

その顕著な例が除染による期間地域の見直しである。

自治体の存在が実質崩壊しているようなところでも、仮想

自治体が存続し、誰も住んでいない地域にも帰還可能地域などと

線引きをすることによって、補償額が大きく変わってくるように

進んでいる。一見多額の補償金のように見えても、とにかく

限定値を設け線引きをすることによって、拡大を押さえ込もうと

いうのである。相手は30年、さらには1万年単位の放射性物質

なのである。あまりにも尺度がずれていて話にならない。


放射線には幸いに色もなければ臭いもない。

だからごまかしが平気で通用してしまうということなのだ。


今回の問題はどちらがいいかといった問題ではない。

私たちが本当にこの問題につらくとも正面から向き合い続けるか

どうかなのである。スピリッツの漫画はそこを提起していると

考えたい。海原雄山氏の次に期待したいものだ。


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