七田式アルファグループ、

講師のAIです。

 

 

 

 

 

ブログをご覧いただき

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

今日は代表の辻本から、

ウズベキスタン

のお話をお届けいたしますチュー

 

 

 

 

 

前回のお話はこちらからご覧ください↓

 

 

 

 

 

 

さてさて前回の続きやけど

ウズベキスタン

が超親日国になった

「悲しい出会いと出来事」って❓

 

 

 

 

 

 

この話はね、以前合宿で

子供たちに話したので、

詳しい話

合宿に参加した子供たちなら 

よう知ってると思いますよ❗️

 

 

 

 

 

 

話は旧ソ連時代

第二次世界大戦直後に遡ります。

 

 

 

 

 

 

第二次世界大戦後、

旧ソ連の捕虜となった日本兵は

南樺太、満州、シベリア、

千島列島などで 

おおよそ57万5000人

と推定されています。

 

 

 

 

 

 

ホンマにスゴイ数やねぇ‼️

もしかしたら 

その中には皆さん方の

近親者や友人がいてはるかも…

 

 

 

 

 

 

※その方たちのお陰で 

今の私たちが

生かされているということに、

深く深く哀悼の意とともに

感謝申し上げます‼️

 

 

 

 

 

 

そのうちの約500名

ウズベキスタンに送られ、

ナヴォイ劇場建設の

強制労働をさせられたんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満足な食事も与えられず 

過酷な労働を強いられる日々。

 

 

 

 

 

 

そのときの日本兵の隊長は

「永田行夫大尉」。

若干24歳でした。

 

 

 

 

 

 

大尉がその時に立てた誓いが

 

 

①隊員全員を

無事に日本に帰国させる

 

 

 

②「日本人捕虜が作った

手抜き工事の劇場」

と言われるような

建物ではなく、

日本人はスゴイ❗️

と尊敬され、後世まで

語り継がれるような

立派な建物を作る

 

 

ということでした。

 

 

 

 

 

 

永田大尉は 

若干24歳ですよ❗️

 

 

 

 

 

 

自分が24歳の頃を振り返って…

ウ〜ン

どう考えても多分アカン❗️

 

 

 

 

 

 

こんなスゴイ

日本人がいてはったんや‼️

と頭が下がりました…

 

 

 

 

 

 

その19年後1966年、

タシケントの街

直下型の大地震に襲われるんです。

 

 

 

 

 

 

街はほぼ壊滅‼️

 

 

 

 

 

 

その時唯一残ったのが 

日本兵が命を賭けて建てた

ナヴォイ劇場やったんです。

 

 

 

 

 

 

ナヴォイ劇場

唯一の避難所となって、

タシケント

街の人々を助けたんやからねぇ❣️

 

 

 

 

 

 

ホンマにスゴイ❗️

 

 

 

 

 

 

けど コレだけやないよ❗️

この話にはね、

もっともっとホンマに

心温まる後日談があるんですよ〜❣️

 

 

 

 

 

 

けど残念ながら 

紙面の都合上また今度‼️

 

 

 

 

 

 

 

 

最後までご覧いただき

ありがとうございました。

 

 

出版しましたキラキラ

『中学受験』

と書いていますが、

この本を読めば

「親子で笑顔に

なれる秘密」

がわかります照れ

ぜひ参考にしてくださいね。

 

 

 

 

英語バージョン

出版しています!

 

 

英訳表紙

アルファグループ

卒業生が作成しました爆  笑

 

 

 

 

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