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本日は、私のバレーの話の続編です。まずは、中学時代スパイクを打てなかった私が、なんで高校でもバレーをするようになったのかをお話ししたいと思います。

中学3年の夏でバレーは終わったが、秋に区の駅伝大会に出場することになった。

というのも、うちの陸上部は2名しかおらず、大会に出るには7名必要で、応援者で賄うことに。

各部から候補者を何名か出し合い、連日練習会(タイムトライアル)を繰り返した。

4kmという距離を全力で走るのは死ぬほどきつかった。

最初は、20分はかかっていて、順位も20人中18番目くらいだったと記憶している。

短距離走はさっぱりだったが、いざ走り出すと人に負けたくないという気持ちが徐々に出てきた。

休みの日も家の近くを走り、継続していると1ヶ月半過ぎたあたりからタイムが上がってきた。

15分台、14分台、そしてようやく目標とする13分台を出し、順位も4~5番目まできた。

結果、私も選手に選れて、大会直前の区間の発表では第5区を走ることとなった。

この5区というのは、エース級が走る4区と6区(ここだけ6km)の間でプレッシャーが大きかった。

大会の日まで、緊張しまくりだったが、当日、なんと主力数名が風邪でダウン。

やむなく棄権。この数ヶ月の練習は何だったのかと怒ると同時に、ほっとした気持ちも正直あった。

しかし、この駅伝が、私にスポーツに対しての自信を少しだけ持たせてくれたようだ。

長距離の練習は同じ距離走っても、きつくするも楽するも自分次第であることを学んだ。

さて、次は受験。うちの学校の半数近くは地元の高校に進んでいた。

皆と同じようにそこに行ったら、私の家からでは歩いて行かないといけないと聞いた。

夢見た花の高校生活とは、イメージがちょっと違う。

でも他の高校は遠い。通学時間がかなりかかりそうだ(だから皆地元へ)。

その中に一つだけ、電車1本で行ける高校があった。

模試判定も最初はBだったが、勉強すると次からはAになったので、そこを受けることにした。

結果なんとか合格できた。その高校にうちの中学から受かったのは8名。

その中の一人に184cmのバレー部のやつがいた。

同じバレー部ではあったが、勉強の方を優先するやつだったので別に友達ではなかった。

しかし、電車が必然的に一緒になるので友達になってしまっていた。

そして入学後、そいつが言う。「ちょっとバレー部見に行かん?」

全く気が進まないが、一人で行くのが嫌そうだったので、仕方なくついていってやった。

古い体育館の中を覗くと、ネットは張っているが、部員らしいのが3人で何かしている程度。

高校というのは集まりが悪く、だらけているなと思って見ていたが、あと誰も来ない。

しばらくして、この人達に声を掛けられ、自分達は3年生で3人だけだという。

このままだと試合に出ることなく夏で引退になるので、是非入って欲しいという。

友達は既にその気になっているが、ここは恐らく、遊び半分の素人チームに違いない。

中学のようなきつい練習はこりごりだが、遊びながら楽しくバレーごっこやるのもいいかと思った。

そんな流れで、二人で翌日から、練習に参加することにした。

そして次の日、練習に行って驚いた。

中学時代、同じ区の強豪2校(県大会出場)のキャプテン二人が揃って来ている。
(私達の時代、男子バレー部がない中学は無かった。区内→市内→県大会は、遥か遠い道程)

向こうは私のことなど知らないが、私はよく知っている。二人はスーパースターだった。

他にも二人きている。

聞くと、一人は県大会ベスト8。もう一人は地区大会優勝校のエース。

私達二人は試合で1回も勝ったことがない弱小チーム。でも友達はこの中では一番の長身。

3年生に、何故3人しかいないのか聞いてみた。

「練習がきついと言って皆辞めていく。2年生は全員一緒に辞めた」

さて練習。キャプテンさんのスパイク、真下に突きささり、天井に届こうかのすざましい当たり。

ここは、私のような者が来るところではありませんでした。

続く。