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George
Balabushka について
ジョージ・バラブシュカ(George Balabushka)は1912年12月にロシアに生まれ1975年12月に死亡した。彼は12才の時1924年に両親に連れられアメリカのニューヨークに移民した。本名はGregori,(グレゴリー)だったが、移民手続きの際の書類にGeorgeで申請し、以後Georgeで一生を通した。16才で木工細工の玩具を作る工場に勤務し、その後、数々の工作特許を取得するなど、天才的な芽を出す。趣味はビリヤード、数年してビリヤード場を開業し、キューの修理を経てキューを製作するメーカーとなった。彼の製作したキューは最高に貴重で、今では「キューのストラディヴァリウス」と称えられ、主にコレクター間で1本数万ドル以上の値段で取引されている。
当時のキューメーカーの誰でもがそうであったように、彼もBlank(ブランク)と呼ばれる部分(現在はフォアアーム=Forearmと呼ばれる)は外注していた。その仕入れ先は大別して、初期(1959-1966)にはブランズウィック社のTitlist、中期(1966-1971)にはバートン・スペイン、後期(1971-1975)にはガス・ザンボティとなっており、それぞれ特徴がある。
映画「カラーオブマネー」(邦題「ハスラー2」)でも、主役のトム・クルーズがジョージ・バラブシュカ(George Balabushka)のキューを取得して有頂天になるシーンがあるが、この撮影に使用されたキューはジョスキュー(JOSS)のダン・ジェーンスが依頼を受けてジョージ・バラブシュカ(George
Balabushka)のキューのデザインをまねて製作したもの。理由はジョージ・バラブシュカ(George
Balabushka)のキューは映画関係の誰もが知っている高価な貴重品なので、撮影時にキューにキズがつくリスクを考え、新たに製作した方がよいと判断したためである。
ジョージ・バラブシュカ(George Balabushka)のキューの現存する本物は極端に少なく(数多くの偽物が出まわっている)、専門家達からも信頼されるごく一部の鑑定人の鑑定書つきのものでないと市場価値は低いのが実情である。
なお、余談になるが、アダム(Adam)社などがジョージ・バラブシュカ(George Balabushka)の遺族とライセンス契約し、ジョージ・バラブシュカ(George Balabushka)の商標で量産キューやその他のビリヤードグッズを市場に出しているが、これらに、ビンテージバリューやアンティークバリューは全くない。
「キュー選びのマル秘情報」より
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