初めてのブログ投稿はこちらですニコニコ

突然ですが、振り返ります②



幼少期のいじめに続き、次は家庭環境。


実は私の母と、今の父は再婚同士。

私が18歳の時に、母は父と離婚しました。

そして、母が46歳くらいの時に今の父と再婚ハート


なので、バツイチではなく、マルイチですニコニコ


二世帯で一緒に暮らしていますが、父はいつでも私の応援隊長📣

仕事面、健康面、精神面でも助けてくれる優しい父です。



私の実父は自営業だったので、子どもの頃は経済的に大変な時の方が多く、家族旅行に行ったこともありませんでした。

誕生日やクリスマスにケーキを食べた思い出もありませんガーン


母への束縛が強く、母の愛情が父ではなく子どもたちに向けられたことに対して、受け入れられていないような父でした。


直接的な暴力はなかったけど、物が飛んでくることはありました。

あとは言葉の暴力。。


耐えきれなくなった母は、何度か祖父母の元へ帰ることもありました。


私が18歳になった時、離婚したいと悩む母に、

【離婚しても良いよ】と伝えました。

たった一度の人生、ずっと辛いままより、母に幸せになって欲しかったから。


かといって、私が何かしてあげられたわけではありません…


離婚が決まり、父に言われた言葉。


【離婚することになったのはお前のせいだ。】

そして頭をぶたれた。


…とてつもなく悲しかった。



厳しくて、自分本位で、父の顔色を伺いながらの生活。

それでも、お弁当を作ってくれたり、小さい頃は肩車をしてもらった思い出もあります。

でも、人を馬鹿にしたり、見下したりする父を好きだと思うことはなかった。



小さい頃は、母親の言葉が全てでした。


いつも応援してくれる母。

なんでも受け入れてくれる母。


そんな母の存在がなければ、私はこんな風に人に優しく生きれなかったかもしれません。


ただ、夫婦ってどちらか片方だけが悪いってことはなくて、きっと父にも父の言い分があったんだろうな…と、自分が親になってから思うようにもなりました。


だから、私が発する言葉を間違わないようにしないと、とも。


母親の発する言葉が、子どもたちに与える影響がどれだけ大きいかを知っているから。


それを教えてくれた、幼少期の家庭環境。


話せばもっと暗ーい話もたくさんあるけど、それも含めて今の私の土台になっています。


そう思えば、父にも感謝。

父がいなければ、私はこの世に生まれていないから、そう思うとさらに感謝。


この病気になったことも伝えてないし、もう何年も会ってないけど…

後悔する前に会いに行こうかな。



つづく。


【アルパカのつぶやき】

言葉は 暴力にも 宝物にもなる



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