今日は、放課後子ども教室のスタッフとして半日、子どもたちと遊んできました。


 子どもたちが来る前、スタッフのみなさんと打ち合わせをしていたのですが、前日、ある子が、別な子から「あなたは味方だよね」と言われて、「違うよ仲間だよ」というような言葉を返したそうです。


 スタッフの人たちは、「そんな感性を持っているんだね」と言いつつも、「味方」と「仲間」はどう違うんだろうと言っていたので、子どもの代わりに説明しました。


 味方という言葉は、その影に敵がいるから使う言葉ですね。「あなたは敵ではなくて、味方だよね」ということになります。しかし、仲間は、敵の存在など関係なく、ただ純粋に同じ仲間だということですね。


 だから、「私は無条件にあなたと友達だよ」という意味がありますね。その子が、どこまで思ってこんなことを言ったかどうかは分かりませんが、この差は重要なことです。



 そのとき、私はスタッフの人に話したことなのですが、人に「連れて行ってあげる」という言い方は、人を上下関係で見た言い方なので、言われた人は「私は連れて行ってもらわなければならない低いレベルの人間なんだ」と思う場合があります。多くの人は何も感じないと思いますが、感受性の強い人は、しっかりと感じるでしょうね。


 だから、私は、障害を持つ人に「山に連れて行ってあげるよ」とは言わないのです。「一緒に(山に)行こうね」と言うのです。これなら対等な関係ですよね。



 引きこもる人たちは、多くが感受性が強く、ちょっとしたことにも敏感です。ですから、この程度の気遣いは当たり前のこことしてできないと支援は難しいですね。



 私は、常識を疑う人間なので、もう一つだけ事例を紹介します。


 良く、大人は子どもに対して「素直になりなさい」と言いますね。「素直」って何でしょうか?


 人の言うことを聞くのも確かに素直なのですが、素直には、もう一つ大切な素直さがあります。


 それは、「自分の心に対して正直になる」と言うことです。人の言葉に反抗しないことを素直と行った場合、心の中で舌を出して、「反論すると面倒なので、取りあえずここはおとなしくしていればよいや」と思っている子を、大人は簡単にだまされて素直と思ってしまうのですね。


 しかし、自分の心に正直になるには、周囲の人がみんな自分と違うことを言っていても、それに流されず「私はこれが正しいと思う」と言えなければならないのです。自分の心に正直になるためには、勇気がいるのです。


 だから、素直な心というのは、別な言い方をすれば、「勇気を持つこと」ができてはじめてなれることでもあるのです。



 常識だと決めつけたとき、人は考えなくなってしまいます。常識だと決めつけたとき、すべては終わってしまいます。

 常識だと決めつけられたとき、「この人には何を言っても無駄だ」とあきらめてしまうのです。それが人間ですね。